IでもUでもない!マスオターン【前編】

〜奥さんの実家へ移住した男たち〜

 

こんにちは
ライターのあいです

私の暮らす岐阜県下呂市は飛騨地域の一番南に位置しており、

日本三名泉のひとつ、下呂温泉が有名です。


私は夫の祖父母の家を継ぐため、昨年の10月に家族3人で東京から下呂へ引っ越して来た移住者です。
いわゆる「孫ターン」と呼ばれる、孫が祖父母の住む地域に移住してくるパターンです。

 

我が家は跡継ぎがいないピンチを乗り越えた訳ですが、昨今「うちは娘しかいないから家の跡継ぎがいない!」と不安を感じている家庭が多くあると聞きます。
そんな方々に是非知って頂きたいのは、下呂では県外、市外から奥さんの実家へ移住する男性が結構いるということ。

 

この記事では、そんな移住の形を「マスオターン」と呼び、前編後編に分けて4人マスオターンした男性にお話を伺いました。

 

 

1.東京都府中市出身の金子さん


(金子さんと奥さん)

結婚6年目で奥さんの実家である下呂市馬瀬へ子供二人とともに移住した金子さん。

• 馬瀬の第一印象「コンビニまで車で15分」
• 子育てするなら馬瀬で
• 飲み会は「小屋」集合!?
• 暮らしも仕事も馬瀬づくしの日々
• 奥さんの両親と同居できた幸運

 

⚫馬瀬の第一印象「コンビニまで車で15分」
金子さんが初めて馬瀬に行ったのは、奥さんと結婚する前でした。
最初の印象は「想像以上(に田舎)だった。」と言います。もう少し家が密集していて、お店も少しはあるようなイメージを持っていたそう。しかし、行ってみると、家と家の間は思ったより距離があり、一番近いコンビニにも車で15分。

それでも何度か足を運ぶうちに、住むには良いところだなと感じていた金子さん。

(夏の馬瀬)

 

⚫子育てするなら馬瀬で
その後、金子さんと奥さんは結婚し、結婚当初から馬瀬へ帰ろうという話をしていました。
「元々子供を育てるなら馬瀬の方が良いと考えていました。妻から『子供の頃、馬瀬で近所の子供達とみんな兄弟みたいに育った。』と聞いて、いいなと思って。」

(秋の馬瀬川)

金子さんと奥さんが実際に決断をしたのは、上の子供が小学校に入るタイミングでした。
ちょうどその頃、馬瀬で暮らしていた奥さんの両親から「馬瀬に帰って来るのか決めて欲しい。」と言われ、このタイミングを逃すと子供にとっても東京から田舎に越すのは難しくなると考え、2012年の2月に移住を決断。3月末には馬瀬に暮らし始めました。
「いざ移住をする時には、勇気がいると思いましたし、人間関係も全くわからないので、怖い気持ちもありました。」

 

⚫飲み会は「小屋」集合!?
実際に馬瀬で暮らし始めると、移住前の不安とは裏腹に「すんなり打ち解けられました。」と金子さん。特に地域との距離を縮めたのが、地域の方々で作った小屋「彦ちゃんハウス」の存在。地域の憩いの場となっていて、よく地域の方々が集まってお酒を飲むそうです。元々お酒が好きな金子さんは、移住直後から小屋での飲み会を通じて、地域の方々との距離が自然と縮まっていったと言います。

(彦ちゃんハウス)

↓「彦ちゃんハウス」についてはこちらの記事をご覧ください↓
日本で最も美しい村の中にある桃源郷。住民たちが心地よく暮らす、西村地区のコミュニティとは

 

⚫暮らしも仕事も馬瀬づくしの日々
金子さんと地域の方の距離を縮めたもう一つのきっかけは仕事です。
事前に転職活動をせず移住しましたが、移住後すぐに近所の方の紹介で馬瀬の建設会社に就職が決まりました。住んでいる地区にある会社だったため、仕事で関わるのも同じ地区の方ばかり。仕事を通じて地域の方の顔や人柄を知ることができたのが良かったと言います。
その後下呂市内の運送会社に転職をしましたが、馬瀬の会社での経験が地域での暮らしの基礎になっています。

 

⚫奥さんの両親と同居できた幸運
そして、同居する奥さんの両親との関係も馬瀬での暮らしを大きくサポートしています。金子さん夫妻は共働きのため、日頃から子供の面倒をみてもらったり、送り迎えをしてもらったりなど、「ご両親の協力なくして馬瀬では暮らせていない。」と話す金子さん。心強い味方が近くにいるのは羨ましいですね。

今年移住7年目を迎える金子家は、既に地域の班長も務め、地域で頼りにされる存在。まだまだ知らない事がたくさんあると言いつつも、馬瀬での生活を楽しんでいる金子さんの笑顔が印象的でした。

 

 

2.静岡県沼津市出身の佐々木さん

 

2000年4月に下呂市金山町に移住された静岡県沼津市出身の佐々木さん。
佐々木さんの奥さんは岐阜県大垣市の出身ですが、奥さんのおじいさんが一人で暮らしていた金山町の家に移住して来ました。マスオターンでありながら、孫ターンでもあります。

• 山と川!金山町の美しい景色に魅了された
• 子供が生まれたら、子供との時間を
• 移住前から職探し
• おじいさんと二人暮らしの1週間
• こんな素敵な死に方はない
• 「地域活動 × 家庭」=バランスが大切
• 農業に興味がある方は是非下呂へ!

 

⚫山と川!金山町の美しい景色に魅了された

佐々木さんは大学まで静岡で過ごし、就職で岐阜市に暮らしていた時、奥さんに出会いました。結婚する前から金山町にはよく遊びに来ていたそう。初めて来た時は山と川が近く美しい景色に驚いたと言います。

写真:koji iwata
(春の金山町 八坂湖畔)

 

⚫子供が生まれたら、子供との時間を
奥さんと結婚し、子供を授かった時、佐々木さんは地方移住を考え始めます。当時の仕事が忙しく、子供が生まれても一緒に過ごす時間がないのではという不安があり、それならば田舎暮らしが良いなと思ったそうです。
そして、夫婦で「どうせ田舎ならおじいさんの家がある金山町がいいのでは?」と考え、当時、おじいさんの家の後継がいなかったこともあり、金山への移住を決断しました。

 

⚫移住前から職探し
移住半年前に当時の職場に退職の意思を伝え、転職活動を始めます。
その中で金山町役場の試験があると聞き、試験に向けて勉強を始めました。
そして無事に役場への転職が決まり、翌4月より金山で暮らすことになりました。

(秋の岩屋ダム)

 

⚫おじいさんと二人暮らしの1週間
佐々木さんが移住した2000年4月、奥さんは妊娠中でまさに臨月!
出産を翌月に控えていたため、佐々木さんは先に下呂市に移住します。
そしておじいさんとの二人生活が始まります。
料理は佐々木さんが作り、毎晩夕食を食べながらたくさんのお話を聞いたそうです。

 

⚫こんな素敵な死に方はない
1週間の同居生活の後、程なくして病を患っていたおじいさんは亡くなりましたが、お葬式も佐々木さんの心に深く残ることになります。
おじいさんのお葬式は自宅で執り行われました。自宅で葬儀をすることに驚きましたが、200~300人の方が弔問に訪れ、たくさんの親戚にも会うことができたそうです。「こんなにたくさんの人に自分の暮らした家で送ってもらえるなんて、こんな素敵な死に方はない。ずっとここで暮らしていきたいと思った。」
おじいさんが佐々木さんに金山を更に好きになるきっかけをくれたのかもしれません。

(横谷狭四つの滝)

 

⚫「地域活動 × 家庭」=バランスが大切
役場では様々な部署を経験し、仕事は面白かったそう。
仕事以外では移住直後から地域の仕事や消防団の活動も始めます。
しかし移住直後の佐々木さんは、田舎の付き合い方がわからなかったため、言われた地域の仕事を全部受けていました。
すると毎日忙しくなり、奥さんに家庭のことを任せてしまうことが多かったそうです。
そして2人目の出産をきっかけに少し地域の役を減らし、できる事、できない事を割り切ることにしました。
「仕事も面白かったし、地域への付き合いも優先していて、家族への配慮が欠けていた。」という佐々木さん。しかし来てすぐに消防団に入ったおかげで、地域の付き合いに入れるようになったので、地域活動に参加すること自体は大事なことだったと振り返ります。

 

⚫農業に興味がある方は是非下呂へ!
現在、下呂市役所の市民活動推進課に在籍し、移住希望者のサポートもしています。
農務課に9年在籍した経験から、田舎で農業をやりたいと思っている都会の人も多いということを知ったといいます。
様々な移住の形がありますが、農業をやりたい人に、農業をしながらこの街に暮らしてもらえたら一番良い形だと言う佐々木さん。
「農業が好きな方は是非一度下呂へ来てください!専業、兼業どちらでもOKです!」

 

 

最後に、お二人に同じ質問をしてみました。

=・=・=・=・=

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後編に続きます!
(只今作成中…!)

田口愛
田口愛

1986年東京生まれ。夫の祖父母の家を継ぐことになり、2018年に住み慣れた地元東京を離れ、生後6ヶ月の息子と共に家族で下呂へ移住。企業の海外事業サポートやライター業、翻訳などをしながら、自分に合った働き方・暮らし方を模索中。着物が大好きで、アンティーク着物のコレクションを眺めながらニヤニヤするのが至福の時間です。下呂の生活にはまだまだ驚きや新しい発見がたくさんあります!

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