~あばら家古民家の自力改修エピソード~
<Vol.1・Vol.2より>
高山で理髪店を営む小林修二さんが40年前に入手した古民家。
経年劣化を抱えながら、コレクターでもある修二さんの収蔵庫と化していたその家の本格再生が、古民家好きの大工・大澤修さんの協力を得ながら3年前に始まっていた。
2016年秋に修二さんと出逢った筆者は、ズブの素人ながらその改修を手伝うことになり――。
2017年が明けてひと月。
いまだ雪深い里では、家の土台修理が始まっていた。
「足下、気をつけて」
玄関を入ると、奥から声がかかる。
投光器に照らされた家の中は、往年のアイドルの等身大看板や年代物の箪笥などが置かれた隙間に、所狭しと木材が並べられている。コードリールから延びた電源コードが、まだ壁に固定されていないコンセントプレートにつながれ、チェーンソーが床に転がっている。
奥の部屋の床がそっくり取り除かれ、その一角を小林修二さんが相棒である大工の大澤さんと覗きこんでいた。
大引(おおびき)・根太(ねだ)と呼ばれる格子状に渡した横木越しに土が見える。膝丈を越す基礎は地面に埋まった石の上に載っていて、この家がれっきとした「石場建て」で築かれたことを物語っている。
「石場建て」
その名の通り、石の上にただ載っているだけ。
コンクリートの基礎を見慣れている現代人には目を疑うような光景だが、これが本来の理にかなった工法という。
接地面がガッチリ固定されないことで、地震の揺れを受け流す効果があるとも、また“足”がそれぞれ独立していることから、修復がしやすいとも言われている正統の伝統工法だ。
大胆で緻密な先人の智恵には舌を巻く。
「ここ、腐っとるやろ」
修二さんが指し示す先で、大引の一部が亀裂を生じ、すでに朽ち果てているのがわかる。恐ろしい事実だが、ここだけではないと言う。
これほど大きく重い建物を支える“足”まわりが緊急事態にあった現実を、初めて目に見えた状態で確認し、背筋が凍った。
「それに、このウチ傾いてるからね」
そこを直さないと、と大澤さんもこともなげに言う。そんな家の中にいても大丈夫なのか。
「大丈夫、多分。あ、でも地震が来たら、すぐ外に出たほうがいいよ。この家、二階が重くなってるから」
大澤さんが頭上を仰ぐ。そこには修二さんの“お宝”がギッシリ詰まっているのだ。
ようやく冬を抜け出した4月。
庭の木々が芽吹き始めた古民家では、土台修復がわかりやすく山場を迎えていた。
それは傷んだ部分を切り落とし、新しいものに取り換えるというものだ。
玄関を入って左側の二部屋の土台が、そっくり撤去されることとなった。
間仕切りの下の傷んだ大引をチェーンソーで切り落とす。ボロボロの角材をバールで引き剥がす。
至近距離のエンジン音が容赦なく耳をつんざき、全身を振動させる。あたりは舞い上がった木屑が部屋の中に立ち込めて、マスクをせずにはいられない。
危ない物や作業だらけの現場で、助手ができることは「掃除」のみ。箒と塵取りを手にウロウロしてはゴミをかき集める。
「そっちも掃いて」
バール片手に木屑にまみれた修二さんから、時おり指示が飛んでくる。
古い釘やネジ、埃や砂や小石やらがそこらじゅうに散らばる地面を、綺麗にしたそばから木屑が積もる。何かを縛ったビニール紐の切れ端や段ボール片もどこからか飛んできて、いくらでも湧くようにゴミは溜まってゆく。キリがない。
こちらの心の声を察してか、
「掃除はね、大事なんだよ。この仕事は常に片付けと掃除の繰り返しなんだから」
大澤さんが声をかけながら、自らもあたりを掃き始めた。
5月。飛騨が最も美しくなる季節だ。
きれいさっぱり土台が撤去された二部屋では、新たな土台の打ち付けが始まっている。
玄関横では、正面の外壁から新緑が萌えだした庭へ、1本の角材がつっかえ棒のように立てかけてあった。
と思ったら、なんとその角材がこの家全体を支えていると言う。
「こっちに傾いてるからね。これで押し返してるの」
こんなに重い家を、古材の角材1本で? 古材の底知れぬ強度もあらためて思い知らされる。
ともかく、とんでもない大工事が始まっていたのだ。
脚立に上り、何でもないことのように角材をチェックする大澤さんが神様に見えた。
部屋では、真ん中にある柱の足下に「分銅」が下がっている。
「下げ振り」と呼ばれるそれは、柱の天井近くに取り付けた本体から糸が伸び、先端にある錘(おもり)までの直線で、柱の垂直具合を示している。
これで、家がどのぐらい傾いているかを調べているのだ。
修二さんによれば、この柱につながる基礎が、載っていた石の上でずれていたそうだ。
そこで、庭にある角材の他、屋内にも筋交いのように1本の角材をつっかえ、その2本をジャッキで押し上げることにより家をも動かして、基礎をもとの位置に戻したと言う。
そんなことをしても家が倒れないことが驚きだったが、そんなことができるのも、石場建ての構造だからこそと修二さんは語る。
釘を打つ大澤さんが、金槌を持つ他方の手に何やら小ぶりの道具を握っている。
いかにも使い込まれたそれは「釘締め」と言って、釘を木の面よりも深く打ち込む道具。この先端を当て金槌で打ち込めば、部材も安定し、釘の突起にひっかかることもない。
匠の技の結晶である「道具」が長年愛用されることで育った美しさがそこにある。
大澤さんの道具は、歴史深い家の中に馴染みながら、それに劣らぬ存在感を放っている。
「こういうもんも、近頃は皆、使わなくなってきたな」
大澤さんらしい、道具への並々ならぬ愛に満ちたひとり言だった。
土台の全取っ換えが済んだ部屋は、新しい木の色と香りが爽やかな気分にさせてくれる。
「陽気が良くなると、気持ちいいからヤル気が出るな」
半袖になった修二さんは、表情も軽やかに窓や戸を開け放った。が、これは新緑の心地よい風を通すことだけが目的ではない。
綺麗になった土台へ、これから盛大な断熱材入れが始まるのだ。
断熱材には、厚さ5センチの板状発泡スチロールを使う。
古民家暮らしでネックとなるのは、冬の寒さ。
5センチの断熱材はかなり厚いほうだが、万全を期して間違いはないだろうと修二さん。
飛騨の冬の厳しさを知り尽くした修二さんだからこその備えだ。
発砲スチロールを、はめ込むサイズにカッターや手ノコで切り、平行に渡した根太の間に手で押し込んだ後は、根太と同じ高さになるまで足で踏んで埋め込む。
「切るサイズは、はめるところより5ミリぐらい大き目にな」
これがなかなか難しい。
大きすぎると板がカーブしてせり上がり、すんなり入らない。無理に押すと、奥へ入りすぎてしまう。反対に小さすぎると隙間があいて断熱効果が薄れる。
修二さんを見ていると、何でも道具になりうるのだと教えられる。大工道具はたくさんお持ちだが、それだけでなく、コレと思いついたものはすぐ手に取り、定規代わりにそこらへ落ちていた段ボールも拾う。
「プラモデルを買ってきて、作ってる気分だ」
小学生の夏休み工作を見ているような気になるのは、そのせいか。
修二さんにとっては、まさに大きなオモチャなのだ。
発砲スチロールは、新しく買ったものの他、これまで使っていたものも再利用する。多少汚れていても問題ない。
無数の白い破片が静電気で服や髪に容赦なく吸い付いてくる。これもマスクをしないと苦しい作業だ。
ここらでやめるか、と修二さんは何度か声をかけてくれたが、終わりが見えてくるとやってしまいたくなるのが人情。あと少し、あと少しと続けるうちに、修二さんもやっつけてしまえと腹が決まったらしい。モタモタしてる筆者の手元から
「貸してみ」
と発泡板を取り上げ、複雑な形状の隙間を難なく埋めてしまう。最後の最後でドジな助手が踏み抜いた断熱材もチャチャッと入れ替えて、結局その日のうちに完成させてしまった。
「独りでやってたら、こんなに進まんよ」
やや疲れた顔で晴れやかに笑う修二さん。“1+1=2以上”の原理だが、そのひと言でにわか助手も救われる。
自分がやりたいようにやってはいても、人を巻きこむ時は、さりげなくも非常に気を遣っている修二さん。調子いいようでいて実は律儀で誠実な修二さんだからこそ、“名物人間”や利害とは別のところで飛騨内外に人脈が築けているのだと、納得する瞬間だ。
大澤さんは大澤さんで、家全体の補強にかかっていた。
斜めになっていた柱がある程度垂直へ戻ったところで、再び傾かないよう、玄関側との間仕切りを「壁」に改造したのだ。
コンパネと呼ばれる、薄板を数枚貼りあわせた畳一畳ほどの、ここでは厚さ1.3センチの板を打ちつけ、仕切りの空間にはめ込む。玄関側は建具をそのまま見せ、裏側は、サワラの板をかぶせて、無垢の風合いを楽しめるように。
こうしてできた新たな「壁」が筋交いのように水平力を抑止し、歪みのない玄関脇の壁とで強度を補い合う寸法だ。
若くはない家に負荷がかかりすぎないよう、また出費と見映えも考えて、大澤さんと相談を重ねた結果の策は、絶妙のさじ加減の上に成り立っている。
建て方同様、直し方も決まりはなく、正解もさまざまなのだと「家」は教えているようだ。
人に個性があるように、体質や年齢に応じた治療が千差万別であるように。
“見えない”ところで「生き返った」家は、いまだボロ家であることに変わりはないけど、どこか生き生きしたものを感じる。
あとは、“見える”ところの身だしなみを整えるだけだ。
– つづく –