~あばら家古民家の自力改修エピソード~
<Vol.1~3より>
2016年秋から、高山で理髪店を営む小林修二さんの古民家改修を手伝う筆者。
3年前から始まった家の本格改修は、2017年の年明けから、土台を取り換え、傾きを戻し、家を補強して、クライマックスを迎えていた。
土台の修理からなる大工事は2017年が明けてから初夏にかけて進められていたが、これと並行して、修二さんは家の“化粧”も始めていた。
新しい土台の上に張ったばかりの、木の色も初々しい床板を「塗る」と言う。
修二さんは、ブレぬ方針のもと改修を行っている。
「昔ながらの古民家らしい古民家にする」というものだ。
それにはまず、家の中が“黒く”あらねばならない。昔の家が、そうであったように。
修二さんの古民家も、囲炉裏の間は往時の色が残っている。天井や梁は煤で黒光りしており、そこで暖をとり煮炊きをした証拠だ。
「ここと他の部屋、梁の色が明らかに違うやろ」
言われて見上げた隣室の梁はたしかに茶色い塗装が施され、それはそれで風情のあるものだったが、修二さんはずっと塗り直したがっていた。
「本物の煤の梁にはかなわないけどな」
囲炉裏が暮らしの中心にあった家の色。
これに近づけることを目指した「黒塗り」ミッションは、床、柱、壁、梁と、初夏から秋へかけて続くのだった。
当初は大澤さんから伝授された昔ながらの塗料を使って塗り始めた修二さんだが、乾燥に時間がかかることと塗る面積の膨大さから予算面で断念。ホームセンターで手に入る汎用品に切り替えた。
こだわり出すとキリがない部分を、どこで諦め、折り合いをつけるか。選択の場面も多い。
「今はこうしておいて、先へ行ってやっぱり気になったら、その時に直しゃいいんだ」
梁や柱を少しだけ塗っては中断し、様子を見ることもしばしばだ。
「本当に黒がいいか、やっぱり比べてみようと思ってな」
見事な左官の腕を披露してくれた時も、「引きずり塗り」(船の舳先のようにコテの形を残した模様)にしたいと珪藻土を塗り始めたのが、気がつくと「青海波」になっていた。
黒塗りを推し進める一方で、時には木そのままの色を残すことも考える修二さん、
「ここは、塗ったほうがいい? どう思う?」
しばしばド素人の筆者にも訊いてくる。修二さんの頭には様々なアイデアが無限に、かつ同時進行で湧き続けているようだ。
その時の気分によって、またある時は閃きによって、あらゆる作業を自由に路線変更する。予定は未定だ。
「やりたいと思ったことには、いくらでも力入れちゃうんだよな、俺」
自分の「やりたい」に忠実であることが、改修を無理なく進める鍵のようだ。
飛騨に早い秋風が立った8月の終わり。
「塗り」もおおかた進んだ部屋の一つに、修二さんは古材らしき栗の薄板を大量に運び込んできた。
「これは、榑(くれ)材と言って、屋根や軒を葺くのに使われていたものや」
たしかに古民家の部類に入る筆者の借家にも、庇にこれと似た薄板が使われている。
便利な機械もない時代にここまで木を均等に薄く裂くには、高度な技術を要したと伝えられている。
いい具合に枯れたそれは、解体予定の古民家で取り外す作業を手伝うついでに貰ってきたもの。
顔の広い修二さんは、部材を買うだけでなく、さまざまなところから「頂いて」くる。
「くれる方も、捨てる手間や金がかからんから助かるし、何より捨てるには惜しい、手伝ってくれるのはありがたいで、お互い様なんや」
新品の部材では決して得られない味わいは、お金を出せば買えるというものでもない。
「タイミングだ」
修二さんは、よくこの言葉を使う。
欲しい時に欲しい情報が入ったのも、手伝って部材をもらえることになったのも。
それは「縁」という言葉に置き換えてもいいように思える。
修二さんにとって、まさに全ては「タイミング」なのだ。
玄関から最も奥に位置するその角部屋の、戸外に面した壁を指して
「ここは、3年前は“アッパッパー”だった」
この「抜けてしまっている(=壁がない状態)」という建築用語が、この家のたしかな進歩を物語っている。
すぐ上が屋根になっている天井は、一部に多少の傷みがあった。
そこを補修ついでに他とは違う天井を作ろうというもので、野地板(屋根の下地材)にコンパネを貼り、そこに「榑(くれ)」を少しずつ重ねて葺くように打ち付ける。
始める前に、幾度となく榑を当ててみて、念入りに確認する修二さん。
「こんなイメージで。どうや? できそう?」
その日の修二さんは、いつもと違っていた。スイッチが入っているとでも言うのか、やや張りつめた空気を漂わせている。
とはいえ、金槌持つのも何年振りかで、ぎこちない手つきの助手を急かすことはしない。
こちらのペースを見ながら、効率よく作業が進むよう適宜指示し、自らはテキパキ動きつつ常に目配りをしている。
実は、筆者がこの日の榑打ちを手伝えることが決まった時点で、前の週の下地貼りから段取りを考えていたと言う。
進捗があってもなくても、あまりこだわらないように見える修二さんが、その日ばかりは「今日中に仕上げる」という固い意志のもとに動いていたように思う。
若い時には気にもならない気力体力の衰えは、ある程度の年代へ来れば誰もが痛感するところ。いつも意欲満々でいられないオトナだからこそ、よし!コレと思えた瞬間が、吉日なのだろう。
この家を本格的に直すと決めた3年前も、そうだったのだろうか。
助っ人に来たもう一人も加わって、この日の作業は日が暮れても続いた。めずらしく修二さんが「ここらでやめよう」と言わなかったからだ。
脚立に上り、仰向きながら上に手を伸ばし続ける作業は、お世辞にも楽とはいえない。それでも不思議な緊迫感に包まれて、作業は滞りなく進んでいったように思う。
果たして、その日のうちに榑天井が無事出来上がった。
新しい天井は、古材のうねりと光沢が投光器の明かりに艶を増して、他の部屋とは明らかに別物の趣きを醸していた。
修二さんの「本気」の成果で、先人の技がここに生き続けることになったのだ。
2018年が明けた1月のある日。
雪が降り始めた軒下で、屋根の補強工事に余念がない修二さん。
狭い足場で脚立に上り、下屋(げや)と呼ばれる小屋根が雪の重みに耐えられるよう、支えの角材を打ち付けている。
こんな日に外での単独作業は、うっかり落ちでもして動けなくなったら、そのまま冷えて命にかかわる。
危ないですよ、と声をかけると
「そんなんばっかや」
飛騨に住まう人間の宿命とでも言わんばかりに、返ってきたひと言がやるせない。
「春になったら」を口癖のように繰り返す修二さんは、まさに飛騨の人。憂い顔で黙々と作業するさまは、長く厳しい冬を耐える姿そのままだ。
それもようやく終わる兆しが見えた3月。この時季としては暖かい午後のこと。
修二さんが猛烈に家の中を片づけ始めたのだ。
置きっぱなしになっていたモノたちを、あるものは処分し、あるものは分類してまとめたことで、にわかに部屋が部屋らしくなり始めた。
冬の間、床や建具を拭き、戸棚に器を並べるなどして、少しずつ進化していた家は、ハッと目を引く美しさが段階的に増えてきてはいた。
それがこの日を境に一気に加速してきたのだ。
古民家は、もはや一年前のガラクタ置き場ではなくなっていた。
「来た人を、囲炉裏の間へ通せるぐらいにしとかんと」
愛おしそうに大黒柱を磨く。
再び人の集う家が、修二さんの「夢」が、現実となりかけている。
それは春の訪れのように心浮き立つ展開だ。
修二さんは「年齢」という概念を忘れさせてくれる稀有な人。ご自身の鍛錬の賜物で身のこなしは軽いし、何より少年のようなワクワクを隠さない。
“にわか助手”を釣った修二さんのワクワクは、眠りから覚めた家のエネルギーにも後押しされて、ますます人を引き寄せるにちがいない。
春からは母屋に隣接する板倉(※)の改修にも着手すると宣言した修二さん。数十年も手をつけていなかった、まさに「あばら家」だ。
勿論、母屋であるここも、屋根裏のコレクションも、この家のあらゆることが、修二さんの中では進行形だ。
※板倉:穀物倉庫などに利用された板壁の建築物。飛騨の代表的な古民家風景としても知られている。
かくして修二さんの古民家再生物語は、まだまだ続きそうだ。
もしかしたら、永遠に続くのかもしれない。
「終わっちまったら、俺、ボケるかもな」
冗談とも本気ともつかぬ笑顔の修二さん。
工期もあってないような改修現場は、修二さんの感性の赴くままに自由な風の中にある。
「やりたいことだらけや」
紹介しきれぬままのエピソードは多々あるも、本連載はひとまずここで中締めとする。
修二さんと古民家が織りなすドラマのこれからを“助手”として見守りつつ、いずれまた機会をとらえ紹介したく思う。
ともかく、これだけは間違いない。
飛騨も、修二さんの古民家も、今まさに
「春近し」。
(完)