〜奥さんの実家へ移住した男たち〜
前編に引き続き、マスオターンをした男性2人にお話を伺いました。
今回、記事を執筆するのは、前編を書いた、移住者「あい」と、
一昨年Uターンした、下呂市萩原町生まれの「あきこ」が
故郷とは違う場所で暮らした経験のあるあいとあきこだからこそ分かる下呂市の魅力をお届けします。
私たちの住んでいる岐阜県下呂市はこのあたり!
下呂市が月1回発行する広報誌・市民の情報源「広報げろ」によると…
人口は32,472人、
世帯数12,147世帯とのこと!
(2019年2月1日現在)
東側にある御嶽山や
市内を流れる清流飛騨川、尾張と飛騨高山を繋ぐ、飛騨街道の宿場がいくつもあり、数多くの歴史が残る街です!
下呂市の概要はここまでとして、
奥さんの実家へ移住する男性たちをご紹介します!
2003年、22歳の時に奥さんと共に奥さんの出身地である下呂市金山町に引っ越してきました。
⚫夜は真っ暗な金山町
岐阜市の専門学校に通っていた奥様とは、友人の紹介で知り合い、お付き合いが始まりました。
交際中から、金山町の奥さんの実家へは頻繁に遊びに行っていて、初めて行った時の印象はとにかく「暗い!」だったそうです。夜は家の周りに全く灯りがありませんでした。その分、夜は空が澄み、星が本当に綺麗なんだそうです。
⚫自然と暮らそうと思えた
元々田舎の暮らしに憧れを持っていたので、奥さんの実家に遊びに行くのは楽しかったそうです。実際に移住を考え始めた時も金山町に暮らすことに抵抗は全くありませんでした。そして、義父の病気と自分たちの結婚を考えるタイミングが重なり、結婚前に奥さんの両親が暮らす金山に移る事を決めます。奥さんの両親との同居については、「両親との同居の不安よりも妻と上手くやっていけるかという結婚自体への心配が大きかったです(笑)」と言う日下部さん。そう言いつつ、今も夫婦仲がとても良いと近所の方から評判でした!
写真:koji iwata
⚫どちらの苗字を名乗る!?決め手は「3文字の苗字への憧れ」
金山町に引っ越してから結婚をした二人は、苗字をどうするかを話し合い、奥さんの姓である日下部姓を名乗ることに決めました。
「奥さんの苗字になることへ抵抗はなかったんですか?」と聞くと、「実は、昔から3文字の苗字に憧れがあったんですよ(笑)だからカッコいいなと思って、全く抵抗はなかったです!」という思いもよらない角度からの答えが返ってき来ました!
⚫同世代の仲間ができる
22歳という若さで金山町に移住した日下部さんですが、地域の人との繋がりはあっという間にできていきました。隣の家に住む3才上の男性が声をかけてくれたことがきっかけで、引っ越して1週間後には一緒にお酒を飲んでいたそう。「同世代の男性が近くにいたことは大きかったですね。」と日下部さんは、当時のことを振り返ります。移住して16年経つ今でも一緒に飲んでいるそうです。
⚫異業種に就職
金山町に移住後、職業安定所を通じて就職しましたが、その後すぐに現在の職場である金山の製造業へ転職。元々奥さんのお父さんとお姉さんが同じ会社に勤めていたため、同社での求人募集があると聞き、応募をしたのがきっかけです。移住前は異業種で働いていましたが、今の会社で働いてみて、夜勤は慣れるまで大変だったものの、自分に合った職場環境だと感じているそうです。
⚫消防団=地域のつながり
職場で地元の消防団に入っている方が多かったことから、日下部さんも声がかかったタイミングで、入団を決めました。
この地域の消防団には20〜50代の地域の男性が参加しています。
消防団は行事が多く忙しいこともありますが、同世代の人と知り合うことも楽しみの一つで、同じ職場の人とも消防団がきっかけで親しくなることもあるそう。
消防団以外にも地域の役が色々とあり、順番に回ってきます。「地域の仕事は確かに多いです。でも1年やるとやりがいも感じるし、自分の経験にもなるので、やってみると楽しさも見つけられます。」とのこと!
⚫朝も夕も鮎釣りを楽しむ
この取材で一番嬉しそうにお話しされていたのが趣味の「鮎釣り」のこと。この地域は日本有数の清流が流れており、鮎釣りが盛んです。
日下部さんも移住後、周りに教えてもらいながら鮎釣りを始めました。
近所にはとにかく釣りが上手な方が多く、「自分はまだまだ腕がないんでそんなに釣れないんです。」という日下部さんですが、釣った鮎は家族で食べる分はほんの一部で、その他は販売もしています。
ある時は釣りの格好をして子供を保育園のバス停まで送り、そのまま釣りをしに川へ。またある時は釣りをした後にバス停までお迎え、なんてこともあるそう。
こんな生活ができるなんて羨ましい限りです。
今回取材させていただいて、
家族、仕事、地域、消防団など忙しい日々の中で、鮎釣りという素敵な趣味を持って、金山の生活を満喫されている姿が印象的でした。
5年前に奥さんと結婚し、下呂市萩原町へ引っ越して来た二村さん。
⚫移住は奥さんの希望を尊重して
二村さんと奥さんは名古屋で出会いました。
お付き合いして4年ほどたったとき、 奥さんの勤めていた会社の名古屋事務所がなくなることをきっかけに 結婚のお話がすすみます。
双方の両親から、それぞれ故郷に戻ってきてほしいと言われていましたが、「奥さんを宮崎に連れて行くことは考えられない。新しく生活を始める場所は下呂市萩原町だ。」と、2013年、結婚を機に奥さんの故郷へ移住を決意されました。
いよいよ引っ越す事になったとき「荷物これだけか?」と奥さんの両親に驚かれたそうです。「名古屋時代に 使っていた物はほとんど処分してきました。」と語る二村さん。
宮崎の両親へ、結婚と移住の報告も、電話一本で。
取材でこの話を聞いたとき、私は、なんて潔いんだろうと思ったのと同時に新しい土地で一から始める覚悟のようなものを感じました。
奥さんの姓(二村)を名乗り、両親と同居。お婿さんとしての生活が始まります。
⚫就職活動もすんなり。同じ職種に勤めることができた
名古屋時代はガソリンスタンドに勤務されており移住後も同じ職種がいいなとイメージしていた二村さんに就職先を紹介してくれたのは奥さんのお父さんでした。同じ職種に就くことができて特に困ったと感じることはなく、すんなり職場になじむ事ができたそうです。
一番困った事は?という私の質問に笑顔で「寒いこと!」と答える二村さん(笑)下呂市の冬の冷え込みは二村さんの想像を超えていたようです。
▲JR飛騨萩原駅 趣がある木造作りの駅舎
⚫両親の支えに感謝
下呂の生活は?という質問に、「地域で分らないことがあった時、奥さんの両親と同居しているので、すぐ相談できます。 新しいこともその場で覚えられるのでとても助かっています。安心して生活できるのも妻の両親のおかげ。心の支えになっています。」と話してくれました。
実は取材当日、奥さんのお母さんとお話することができたのでインタビューしちゃいました!
二村さんの印象をうかがったところ、「何でもやる子だよ。夕食やお弁当作りもするし」と、お婿さんである二村さんを絶賛!
さらに「いろいろ言っても、くよくよしないところがいいね」と一言。
その会話を聞いていた二村さんはというと…
「うんうん、そうそう、」とうなずきながら
僕は切り替えが早いタイプなので気にしてませんという表情で言葉を聞き流す素振りをしていました(笑)
私はその二村さんの姿を見て、おちゃめだなぁと笑いながら、ふと、2007年に流行ったムーディ勝山のギャグ「右から来たものを左へ受け流す」を思いだしたのでした。
奥さんの両親とマスオさんの築いてきた絶妙な関係も、二村家の大切な要素だと感じました。
▲萩原町「宮谷の桜」二村さんお住まいの地域の名所
⚫下呂市と宮崎県は800km
里帰りの頻度をお聞きしたところ「宮崎に行くことは少ないです。ただ、年1回のペースで両親と会うようにしています。」と返答が! 頻繁に会えないからこそ、宮崎の両親を静岡に呼んで一緒に旅行したり、 会えるときは最高でスペシャルな時間を過ごして、親孝行しているとのこと!
▲萩原町のシンボル標高1646mの「霊峰御前山」
二村さんにインタビューさせてもらい感じたのは、口数は決して多くはないのですが時折見せるユーモアさ、新しく出会う方との距離を感じさせず、 人を和ませるところ、そして一番は周りを柔軟に受け入れられるところが二村さんの魅力だなということでした。
最後に、お二人に同じ質問をしてみました。
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取材前は、「こんな大きな決断をどうやってしたのだろう?」と思っていましたが、取材を通して、それぞれ移住に至るまでの経緯は違っても、「自然の流れの中でマスオターンという選択をした」印象を受けました。
そして皆さん共通してとても明るく穏やかで、下呂での生活で経験する新しい出会いを楽しまれています。
これからマスオターンを考えている方!下呂にはこうして楽しく暮らしているマスオさんが沢山いるので、ぜひ一度足を運んでみてください!