筆者である私は、生まれ育った飛騨高山から一度外に出てUターンしてきた。地元に帰りたいと思った理由はいくつかあるが、その中の一つが「食べ物の美味しさ」だった。米も野菜も郷土料理も、飛騨には美味しいものがいっぱい。
そこで、同じように「飛騨ごはん」に心、そして胃袋を掴まれた移住者さんがいるのではないか?という思いから、聞いてみた。「あなたが胃袋つかまれた飛騨ごはんってなんですか?」
長く住んでいた名古屋から祖父母の家があった高山市へ移住した崔瑛順(さい えいじゅん)さん。「山に惹かれて登山に興味を持ち始めていた私にとって、飛騨は最高の場所」。気軽にハイキングできる身近な里山から、3000メートル級の北アルプスまで。様々な山がすぐ近くにあり、いつでも出かけられる飛騨での暮らしは、とても魅力的なものだったそう。
そんな崔さんが飛騨に来て出会ったのが、山に入るとひときわ目立つ高木「朴の木(ほおのき)」。20センチを超える大きな葉「朴葉(ほおば)」には抗菌作用があるため、ラップも冷蔵庫もなかった昔は食材を包んで保存するのに重宝された。落葉して茶色くなってからも火に強いため、味噌などの食材を乗せて焼き料理に用いられる。
山岳ガイドの仕事を始めたことから山好きの知り合いが増えた崔さんは、仲間と一緒に山に入るうちに、標高の高い場所に柔らかい朴葉があることや、ウドやワラビ・きのこ・山椒などの食材も山から調達出来ることを実体験で学んでいった。
「山からいただいてきたものが暮らしの一部にある」そんな飛騨人の知恵に惹かれて、地元の人に習いながら朴葉を使った料理「朴葉寿司」を手作りするようになったという。香りのよい若い葉に酢飯と具材を包む風物料理だ。
「酢の加減ひとつ取ってもその家のやり方がある。好みでオリジナルが作れるところも魅力」と崔さんが言うように、地域や家庭ごとにまったく同じレシピがないのは先人が季節の食材を思い思いに乗せてアレンジしてきたからだろうか?
旧暦の端午の節句にあたる6月頃、朴葉寿司作りのシーズンになると、大人数を誘ってイベントのようにみんなでわいわい作るのだそう。「味が美味しいのはもちろん、食材集めから調理まで仲間と一緒にできるところが楽しい!」と崔さん。
山好き仲間が集まって作る朴葉寿司のこだわりは、やっぱり自分たちで山からいただいてきた恵みをふんだんに入れること。朴葉はもちろん、地元の名人に教わりながら山菜やキノコも自分で採ってきたものを使うので、美味しさもひとしおだ。
基本の具材⋯朴葉(標高が高い場所の柔らかいものが極上!)・酢飯
お好みで⋯鱒(ほぐして酢飯に混ぜ込む。切り身で乗せる派も)・金糸卵・ワラビ・きのこ・きゅうり・山椒の葉・紅しょうがなどなど
その時に手に入るもので、合いそうなものはなんでも!
崔さんのやり方では四角く包んで完成だが、包み方にもさまざまな形があるのだそう。アレンジは無限大の朴葉寿司は、いったい何種類のレシピが存在するのだろう。それは家の数、いや作る人の数だけあるのかもしれない。そんな「うちの朴葉寿司」を交換したり持ち寄って楽しむ場面も、初夏の飛騨の楽しみなんだとか。
山の恵みに感謝し、家族や仲間と季節を楽しむ、飛騨の美味しい文化「朴葉寿司」。話を聞いて思わず「来年作る時は誘って欲しい!」とお願いしたのは言うまでもない。