ひととひとが繋がる場所 ~コミュニティデザインの今昔~

第一回:戦国時代から続くコミュニティのこれまでとこれから

コミュニティデザインという言葉。最近ではTVや雑誌でも目にする言葉ですが、いつから使われ始めどのような意味の言葉なのかご存知でしょうか?

もともと「コミュニティデザイン」という言葉は1960年代、主にニュータウン建設の中で使われ始めた言葉です。縁のない人たちが集まって暮らすなかで、良いつながりを生む為には住宅をどう配置すればいいのか、みんなが使う広場や集会所はどうつくればいいのか、ということを考えた主に空間デザインを指す言葉でした。

現代でも、全国からその土地に縁のない人たちが集まり、地域で一緒に暮らすような移住定住が増えています。この時代において、空間デザインというハード面だけの「コミュニティデザイン」ではなにかもの足りなさを感じてしまいます。

では、この言葉が使われ始めるより以前、つまり1960年代以前の日本における、ひととひとのつながりとはどのような場所でどのように営まれていたのでしょうか?そのヒントを知りたいと思い、飛騨市古川町に本堂を構える浄土真宗・西本願寺派:円光寺・圓山正真住職の元へ訪ねました。

お寺は教育 福祉 文化の拠点だった

飛騨古川の三寺に数えられる円光寺・築350年の本堂。

みなさんの暮らしている地域にお寺さんはありますか?
ないという地域はかなり限られています。1時間歩けばお寺がひとつは見つかるのが日本の町並みです。

現在全国には約72,000のお寺があります。近年は、経済基盤の弱体化や後継者不足などの理由で、その内2割は廃寺ともいわれますが、それでもコンビニエンスストアの全国店舗数(約58,000)を軽く上回ります。ちなみに安永6年(1777年)のお寺の数は全国で約46万ヶ寺でした。それだけ日本人の暮らしとお寺と密接に関わってきたのです。

「わたしの子供の頃は坊守(住職の妻)の母のところに毎日誰かが話に来ていたし、境内には子供たちがたくさんいました。お寺は目的がなくても来られる場所なんです」と圓山住職。

もともとお寺は、地域における教育や福祉、文化の拠点としての役割を担っていました。江戸時代に生まれた「檀家制度」と呼ばれる仕組みによって、お寺は行政機関の権限をも担うようになり、お寺と地域住民の生活は強く結びつけられていました。

ほんの少し前までお寺は保育所・老人ホーム・公民館・役所・葬儀会館・学校…いまは細分化されてしまったひとが集まり文化を育む拠点としての機能をお寺は一手に担っていたのです。

つまり、お寺は教育・福祉・文化の拠点だったのです。

お寺は「ひととひとのつながる場所」として数百年の歴史をもったシステムであるといえます。

それでは現在のお寺はどうなのでしょう?
コミュニティデザインの観点でお話をお聞かせいただきました。

これまでのお寺、これからのお寺

圓山正真住職。

圓山住職は、龍谷大学(りゅうこくだいがく)真宗学科卒業後、地元飛騨に戻られ17年間の社会人経験を経て9年前に生まれ育った円光寺の住職になられました。

「これからのお寺は従来のやり方を大切にしながらも、もっと現代人の関心がある音楽会や落語会などの集まりをしていったほうがよいのではないか…そう思っていたところ、本堂でヨガをさせてもらいたいと声がかかったんです」

ヨガ教室で普段お寺に来られない若い女性が気軽にお寺に足を運んでもらえる雰囲気が生まれました、するとヨガのない日にも子供を遊ばせにお寺に来る女性が増えてきました。

確かな手ごたえを感じていた2012年、飛騨古川の三寺を会場にした「ぐるっとマルシェ」が商工会で企画されました。【お寺の境内やその周辺の参道を昔のように人のにぎわう場所にしたい。】

というコンセプトに感銘をうけた圓山住職はよろこんで引き受けました。

賑わう境内の様子。

気軽に来られて悩みを相談できる場所

「戦後すぐの頃は法話会をひらけば本堂から人があふれるほどひとが集まったようです。でもいまは葬式ですら本堂を使うことは珍しい時代。これからは現代に即したかたちでひとの集まることをやらなければいけないんです」

浄土真宗本願寺派総合研究所が発行している冊子【ひろがるお寺】【実践事例集】には、全国の本願寺派のお寺で行われた活動が、数多く紹介されています。

神社本庁についで2番目に多い浄土真宗本願寺派ですが、近年時代にあわせて活動の幅を広げています。

一部ではとても有名な、元DJ和尚のテクノと法要をあわせ、プロジェクトマッピングで極楽浄土を表現した「テクノ法要」の福井県の照恩寺も、本願寺派のお寺さんです。

円光寺でもこれまでに『のくとまりマーケット』『ぐるっと町ごと絵本館』『こどものつどい』など、音楽ライブや落語会等の多くの人が関心をもち主体的に関わるイベントが開催されてきました。

なにか選ぶ基準を設けているのですかと聞くと、

「特に設けていません。いつもこちらからお願いをするわけではなく、お寺を使わせていただきたいという声をいただくことも多いです。このように皆様に使っていただけることはありがたいことです」

しかし、お寺を開放するうえで二つだけ守っていただきたいことがあるといいます。

「ひとつは、ご本尊の阿弥陀様を破壊するようなことをしないこと、もうひとつは親鸞聖人を偲ぶことです」

親鸞聖人の教えを一言でいうならば【おかげさま】と【おたがいさま】の心です。

【迷惑かけてありがとう】これは俳優・たこ八郎さんの遺した言葉です。この言葉にはふたつの意味があります。それが【おかげさま】と【おたがいさま】の心です。

この言葉には、【迷惑をかけて生きる自分を愛してくれてありがとう】そして【迷惑をかけさせてくれてありがとう】という意味があります。

我々は核家族化し無縁社会といわれる時代を生きています、このような時代だからこそ誰かに迷惑をかけて生きていくことの意味を考えなければいけません。

少し前まで町を歩けばたくさんの(おせっかい)をやいてくれる人がいました。

お寺の境内に子供たちがたくさんいたのは、お寺に話をしにきた、近所のおじいさんおばあさんがいつもいて、面倒をみてくれていたからです。そんなおせっかいをやく人は、そのことを【迷惑】だとは思わなかったのではないでしょうか。それが「生きがい」になっていた人もいたことでしょう。

人間とは、誰にも迷惑をかけずに生きられない生き物です。社会システムとは、そのシステムの中でもっとも弱い存在が苦しまないように生きる為の仕組みです。それはなぜかといえば、人は皆赤ん坊という弱い存在で産まれ、やがて身体的に不自由なお年寄りという存在になっていくという事実があるからです。

つまり、社会が守っている「もっとも弱い存在」とは「過去の自分」と「未来の自分」なのです。

撮影時も子供とおばあちゃんが境内で遊んでいました。

【迷惑をかけさせてくれてありがとう】は、『おたがいさま』の心です。そして【迷惑をかけて生きる自分を愛してくれてありがとう】と思える心は、『おかげさま』の心です。

迷惑をかけないように努力することは、決して間違いではありません。しかし、迷惑をかけまいと孤独になってはいけません。孤独と自立は違うのです。どんな立派な人も昔は子供で、育ててくれた人に迷惑をかけてきました、誰にも迷惑をかけずに生きられないのだから、迷惑をかけたときはきちんと御礼をして、誰かから迷惑をかけられたら、自分がしてもらったように助けてあげよう。

そう思える人間の心の美しさを、親鸞聖人は説いたのです。

圓山住職のおっしゃる、親鸞聖人を偲ぶこととは、このようなことを指すのではないか、と僕は捉えました。

【おかげさま】と【おたがいさま】の心であるからこそ、お寺という伝統のある場所で様々なイベントを開催してもそれは浄土真宗の教えとは少しも反することはないのでしょう。

時代に苦しむ、多くの人を救うために教えを説いた親鸞聖人の想いは、現代にも生きているのです。

人と人を繋げる仕組み

今回の取材を通して自分の中でもお寺というものが身近になっていくのを感じました。それは、お寺についてあらためて学んだから…ではなく圓山住職のお人柄に触れたことが一番大きな理由であったと思います。

「お寺は、どのような人も決して隔てることなく受け入れる場所です。たとえば、外からこの町に来られた人にとって不安なことは、この町で暮らしている人といかに関係性を作っていくのか?ということではないでしょうか。我々はそのような不安をもった方に、土地の歴史・しきたり・町での作法等をお話しすることが出来ます。必要でしたら話があいそうな人を引き合わせることもできます。不安なことがあったら気軽にいらしてもらいたいです」

今、全国的に新しいコミュニティスペースが増えてきています。これは教育・福祉・文化の拠点としての、現代版お寺のようなものでしょう。しかし、その多くの場所が「イベントや仕事のあるときに訪ねる場所」になっていることは残念なことだと思います。

話は最初に戻りますが、「コミュニティデザイン」という言葉は1960年代、全国から無縁の人たちが集まって暮らすニュータウンで、良いつながりを生む為に、住宅や公園の配置などの空間デザイン=ハード(外側)を作るために使われた言葉です。

現在の「コミュニティデザイン」という言葉に求められるのは、もっとソフト(内側)の問題を解決させるための意味だと思います。

用がなくても、あそこに行けばいつも顔見知りの人がいて、安心できる場所。それは、人と人を繋げる仕組みを取り戻すということです。

それこそがコミュニティデザインの役割ではないでしょうか。そしてそのような場所は実は新しく作らなくとも、お寺という場所としてすでに全国に72,000もあるのです。

地域の課題を解決するヒントは、みなさんの住まいの近くのお寺の境内にあるのです。

最後に、これまでは受けいれる姿勢で、さまざまなイベントを開催してきた圓山正真住職に、今後開催してみたいと思っている企画はありませんか?と伺った。

「お寺を、昔のように用事がなくても話をしにきてもらえる場所にしていきたいし、何でも気軽に相談してもらいたいのだけど、今は敷居が高く思われてしまうのか、なかなか気軽に来てもらえません。だから他県でも話題になっている坊主BARを飛騨でも開催したいですね!」

まさかの坊主BAR!!

たしかに、現代社会において、立場を忘れて相談できる場所は、飲み屋のカウンターなのかもしれません。

私事ですが、この記事を書くにあたり地域とコミュニティについて調べるなかで、友人から円光寺さんのお話を聞き、偶然お会いしたその瞬間に取材をするならこの人しかいない!と思ったのが圓山住職でした。いい意味でお坊さんらしくない気さくで柔らかな雰囲気をもっている圓山住職に会いに、みなさまもふらっと飛騨古川の円光寺に足を運んでみてはいかがでしょうか。

お忙しい中、長時間の取材にご協力くださいました円光寺・圓山正真住職、誠にありがとうございました。

【浄土真宗・西本願寺派:円光寺】
  • 住所 岐阜県飛騨市古川町殿町11-11
  • 電話番号 0577-73-2954
  • 定休 無休
  • 料金 無料
  • アクセス 飛騨古川駅から徒歩5分(駐車場なし)
  • HP https://www.hida-kankou.jp/spot/3827/
朝倉 圭一(2017年度ライター)
朝倉 圭一(2017年度ライター)

高山市出身の33歳、24歳の時Uターンをし地元企業に就職するも東北の震災を機に自身の暮らしかたに対しての疑問が深まり地域でのこれからの暮らし方・働き方を模索し始める。地方でしかできないこと地方だから出来る営みを探すなかで、民芸の思想に触れ東洋的な思想を取り入れた無理のない永続的な営みを形にするべく、縁あって譲り受けた古民家を移築し生活を始める。現在は自宅内に店舗を構え、妻と二人で民芸の器を扱うお店(やわい屋)を開業、今にいたる。

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