下呂市小坂町で、滝めぐりのインタープリターとして活躍する熊崎さん。いま彼がフィールドで活動できているのは、小坂の先輩方がベースをつくってくれたおかげだと言う。その先輩の一人、桂川淳平さんは、もともと小坂町役場(現:下呂市役所)一筋の行政マンだったが、58歳のときに退職しNPO法人飛騨小坂200滝を立ち上げた。
滝の魅力を紹介した「小坂の瀧」という本が原点だという熊崎さんと、その数年前に同じ本から滝めぐりのツアー構想を膨らませていった桂川さん。NPO立ち上げの背景と、熊崎さんがガイド人なるまでのストーリーを聞いた。(※熊﨑さんについての記事はこちら)
「僕は役場にいたときから、滝はたくさんあるけれど皆さんに知られていないということを何とかしたいと思っていました。『小坂の瀧』という本があるでしょう。あれがあるから、地元のみんなは滝の存在をなんとなく知っているのだけど、行ったことのない人がほとんど。それに加えて、観光に使えるかどうかというところはずっと議論があったんです」
当時の記憶を紐解くように話し始めた桂川さん。小坂町役場に入庁し、町のために40年働いてきたが、心のどこかでずっと滝のことが気にかかっていたと話す。平成18年、桂川さんが58歳になった年に、「滝をもっと知ってもらいたい」という一心で役場を早期退職し、すぐ仲間と「NPO法人 飛騨小坂200滝」を立ち上げた。この頃から、滝めぐりのガイドツアーをやろうというイメージがあった。
「実は役場にいた頃、観光協会や商工会から『滝をつかって、四国の八十八か所めぐりのようなコース設定ができないか』と要望が出ていたんです。ただ、実際に誰がやるかというところで、やはり手をあげてくれる人がずっといなかった。そこが一番の課題で、これはもう自分がやるしかないと」
決断をした桂川さんの周りには、自然と同級生や山好きの仲間が集まった。コース調査やルート開発を進め、平成19年から4種類の初級コースを案内するようになる。しかし、すぐに大きな課題にぶつかった。
「実は、中級以上のコースは全て国有林で、NPOが単独で入林許可を得るのは難しいことが分かったんです。入林申請しようにも、まず歩道はない、だから認めることはできないと。私たちも諦めたくなかったので、岐阜森林管理署とも相談して、まず獣道を何度も歩いて歩道をつくりました。その後再申請したんですが、やはりNPOだけではなかなか通らず、最終的には下呂市と滝めぐり協定を結び、下呂市と共同で入林申請をすることで解決しました。時間はかかってしまいましたが、やっと中級以上のコースもスタートできるようになりました」
桂川さんたちが活動を広げていく中で、同じく滝への思いを持つ熊崎さんがNPO会員になった。彼は子どもの頃に読んだ「小坂の瀧」が忘れられず、いつか地元に戻り滝に関わりたいと考えていたという。当時20代の会員は珍しく、何よりNPOの活動に積極的だった熊崎さん。桂川さんたちにとっては、自然と頼れる存在となっていった。
「やっぱり、私たち年配者が多いですから、若い方が会員になってくれるのは嬉しいことです。なにより彼はよく働いてくれるので、本当に助かりました。危険な箇所にザイルを張ってもらったり、体力もあるので私たちにできないことをやってもらったり。そのうち、ガイドの仕事もお願いできるようになっていきました」
「当時、熊崎君は高山で仕事をしていたんですが、あるとき会社を辞めて自分が滝めぐりの仕事を担いたいという話をしてきました。私たちとしては、給与が保証できることもないし、きっと家族の反対もあったと思います。何度も話し合いましたが、本人の意志が強く、NPOとしても腹をくくって一緒にやっていこうという結論になりました」
熊﨑さんが正式に加入してからは、野点を取り入れたトレイルツアーを実施したり、沢登りのスポットを開拓するなど、これまでにはない試みが徐々に増えていった。桂川さんたちがつくってきた滝めぐりツアーのベースに熊崎さんのアイデアが入ることで、スパイスの効いたツアーに変化する。小坂に新たな魅力が生まれつつあった。
「新しいことに取り組んでいくと、どうしても上層部と熊崎君の意見が食い違うこともあります。ただ、私としては、熱意を持って戻ってきた若い方に任せたい。私らは、見守るだけにしないといけない。それが、これからの小坂のためになると信じています。」
桂川さんたちは、滝めぐりのツアーに加えて、小坂の炭酸泉を使ったイベントを企画したり、熊崎さんを中心に持続的な働きかたのモデルをつくっている。これから小坂に来る移住者がいたら、小坂だからこそできる働きかたを見せていきたいという。現在、組織にいる20人ほどのガイドのうち半分は60代以上。もう次の世代に引き継がないといけない、と話す桂川さんは、少し安心しているように見えた。