未来の地域編集部が移住者ゲストを招き、〈飛騨の仕事事情〉と名付けた座談会を開催!
前編に引き続き移住者の本音トークで盛り上がります。
沖中 大志
TAISHI OKINAKA
【Uターン・高山市出身】2016年にUターン。両親が経営する旅館で働きながら、2017年に1日1組限定のキャンプ場、ヒトハリをオープン。自身もキャンプに親しみながら、奥飛騨での暮らしを満喫中。
横関 万都香
MADOKA YOKOZEKI
【Iターン・奈良県出身】奈良生まれ大阪育ち。23歳の時に渡加。 ツアーガイドの仕事につき、天職だと思い 7 年間ロッキー山脈の麓バンフで暮らす。帰国後は鎌倉や長野県茅野市で暮らすが、夫婦二人でゲストハウスを開業するため 2011 年 4 月に岐阜県高山市へ。2012年第1子が誕生し、家族3人で世界中からのゲストを迎える。今年 4 月第 2 子誕生予定。
中村 匠郎
TAKURO NAKAMURA
【U ターン・高山市出身】銭湯ゆうとぴあ稲荷湯 4代目(予定)。高校生時の海外留学以降、5ヵ国 10年弱の就学・就職経験の後、2017年 10月に帰省。現在は銭湯・ゲストハウス cup of tea(2018年 2月開業)を起点とした街作りに奮闘中の 33歳。
大田 渓太郎
KEITARO OTA
【Uターン・飛騨市出身】U ターンしてから約 1 年後の 2016年よりOK PAPERS(オーケーペーパース)という名前でイラストを描き始める。同時期より City Pops(シティポップス)としてデザイン、データ入力、POP作成、サイン作成画像加工等を請け負う。
かねてからの夢であった喫茶店を2019年春にオープンするべく日々奮闘中。
家族構成は妻と二人の息子。好きな食べ物は卵料理。牡羊座、B型の35歳です。
田口 真由美
MAYUMI TAGUCHI
【Iターン・千葉県出身】ときどき旅人。2011年1月より飛騨へ移住、現在高山市在住。発酵・燻製をライフワークに、こだわりの素材食に勤しみ、適宜アレンジを加えた料理の提供やワークショップを実施。古き良き暮らしを残す飛騨の素晴らしさを、独自取材による記事としても発信中。今回は、未来の地域編集部の一員として参加。
飛騨への移住を決めた理由はなんですかという問いに対して、
一番多かったのは自然が身近にあるからという答えでした。
続いて、「出身地だから」「仕事が見つかった」というものが来ています。
Uターン、Iターンの方々はそれぞれの理由や計画があって飛騨に移住を決めていますが、
その決め手はどこにあるのでしょうか。
編集部:
Iターンで来た横関さん、飛騨を選んだきっかけはありましたか。
横関:
私は昔、カナダに住んでいて山登りが好きだったんです。
帰国して山のそばに住みたいと思って長野に住んでいました。主人と2人で何か始めたいと思った時に、山の近くがいいよね、ということで松本を見て、山を越えて飛騨に探しに来ました。すると高山の町並みはすごくコンパクトで歩きやすくって、ちょうど私たちがターゲットとしている外国人に紹介したいと思ったんです。運良くいい物件が見つかりました。誰1人知り合いはいなかったんですけどね。歩いて、巡って、ここがいいなぁというのが始まりでした。
編集部:
高山では、今でこそ銀行さんや不動産屋さんも、あーゲストハウスね、という感覚がありますよね。ただ、当時は他に参考になる場所はなかったと思いますが、どうやって説明したんですか。
横関:
不動産を借りる時もゲストハウスとはどういうものか、資料をちゃんとつくってから回りましたね。
田口 真由美(以下、田口):
わたしはずっと移住先を探しながら旅をしていたんです。
飛騨は、住み込みで働けるところに飛び込んだのが始まりで、その後は、イベントに出会ったり、仕事に出会ったり、住むところに出会ったりという感じで、現在に至っています。 なんとかなる、という思いだけでやってきましたね。
編集部:
グラデーション的な移住スタイルですね。
そのほか、Iターンをして来た方の仕事でいうと、地域おこし協力隊(※注2)をよく聞きますが、編集部のなかにも、地域おこし協力隊の方がいますね。
長坂(白川村地域おこし協力隊):
私は白川村で地域おこし協力隊を募集しているのを見て応募しました。移住した当初からサポート体制ができていたので、わりと楽に地域の中に溶け込めたかなと思っています。白川村の場合は、協力隊に家や車も用意してくれます。
編集部の一言
縁もゆかりもなかった場所を移住先選ぶのは、簡単にできることではありません。想い描く場所にぴったりなところを探しながら辿り着いたり、気に入って通っているうちに住むようになったり、見つけ方はそれぞれです。飛騨の暮らしを選ぶ人にとっては、山や川をはじめとする美しい自然がそばにある暮らしが、大きな魅力の一つとなっているのは間違いなさそうです。
編集部:
中村さん、数ある生活の場所のなかでUターンを決めたきっかけはなんですか?
中村:
僕の場合は、幸福度をあげるためです。実家がお風呂屋さんというリスクヘッジができていたので、やりたいビジネスが失敗してもなんとかいけるだろうというがありました。
一般的な「移住して起業」よりハードルは高くなかったですね。
銀行との融資交渉でも、実家と30年間関係のあるメインバンクにお願いをしたので、かなりよい対応をしてもらえました。
大田:
わたしもちょうど昨日、父親のメインバンクに家族でお願いをしに行って、父親の存在をチラつかせながら、いい条件で相談することができました。今は実家のペンションの家業はまったく関わっていないですが、今後喫茶店をやるときは、ペンションの隣につくりたいと考えています。土地もすでにあるというのも大きいですね。
編集部:
父親のメインバンクって、力を持っていますね。
横関:
ちなみに私は仕事柄、Uターンの人にたくさん出会うので、地元に帰ってきている人たちが多いのかなと感じるんですが、実際に同級生は戻って来ていますか?
編集部(住):
僕もUターンしてきましたが、同級生は4分の1くらいが戻ってきているのかなと思います。ただ、世代によってたくさん戻ってきている世代もあります。面白い人がいると、あいつがいるから帰ろうかな、という意識になりやすいというのもあるんじゃないでしょうか。昔からの知り合いが多い環境だけに、逆に付き合いにくい人がいることもありますけど。
Uターンの人の話を聞くと、Uターンにはたくさんのメリットがあると感じます。
実家に土地があったり、近所の付き合いがわかっていたり、助けになってくれる人がすでにいたり、Iターンとはスタート地点が大きく違ってくるようです。故郷は、様々な意味でリスクヘッジができる場所なのかもしれません。ただ、昔から知っているからこそ気まずさや付き合いにくさもあるなど、Uターンならではの事情もありそうです。
今回の座談会で集まったゲスト、編集部含めた移住者のみなさんの仕事事情として、
全員が、2つ以上の仕事をしていることがわかりました。
業種も様々で多方面の仕事を組み合わせて生活をしているようです。
飛騨で働く面白さと生活していく知恵がここにあるのかもしれません。
編集部:
ここで、副業されているみなさんの収入を書いてもらいたいと思います。どの仕事からいくらもらっているか、またはパーセンテージでもいいので、皆さんフリップでお答えください.
みんなで書いて一斉に公開しましょう!
中村:
僕は80%が奥さんの産休手当でいただけるお金で、19%がお風呂屋の掃除や番台の手伝いからもらえるお金、あとは農業での少しのお小遣いが収入で、今後の事業への種まき※6は出費がかさみますが、先行投資だと思っています。奥さんは偉大ですね。
※6中村さんの種まき:「まちづくり」・「文化・技術の継承」をキーワードにした新しい事業をいくつか準備中。高山・飛騨地域が持つ資源を正しくプレゼンテーションして、その結果として、永続的な観光資源となるように育てる取り組みを実践している。
横関:
私はゲストハウスが本業ですが、冬の45日間だけ酒蔵ガイドのバイトを勉強のためにやって、自分のお小遣いにしています。高山って、面白いのが、この酒蔵ガイドを始めたのをきっかけに、夏のホウレンソウ農家を手伝わない?とかトマト採らない?など、個々でのアプローチがたくさんくるんです。そうやってみんな人を確保する。仕事の場でまた別の仕事の話が行われるという、勝手にハローワークみたいなものです。
編集部:
飛騨らしい仕事の見つけ方ですね。
ちなみにコロカルの編集部に聞きたいのですが、現在働き方のトレンドであるダブルワークは地方でこそ!という流れを感じます。実際、都市部でもそういった流れを感じますか?
コロカル編集長:
季節ごとの仕事はもちろん、目的に合わせて仕事を組み合わせ、柔軟な時間の使い方や働き方を選択している人が多くいます。仕事をしながら次の仕事を決めて行けるというのも人と人のつながりを大切にする飛騨らしさなのかなと感じます。
今は暮らす場所も、仕事の業種も働き方も自分で自由に選択できる時代です。
そのなかで、たとえ収入が減ったとしても、雇われるよりも自分でやったほうがいい、
仕事が決まっていなくても何かみつけられるはず、という移住者の考え方の芯となるものはなんでしょうか。
飛騨に移住する人が人生の中で一番重要視するものを探っていき、
ただ「楽観的」だけでは終わらない思いを見つけていきます。
編集部:
そもそもみなさん、もっと稼ぎたいと思っていますか?
大田:
お金はあるに越したことはないですけど、それよりは別のところに焦点を当てたいなと思います。お金は3番目くらいですかね。
中村:
東京の会社員としてガツガツ働いて1000万円を稼いでも手取りは700万円くらい。そこから高い生活費を差し引くとそこまでの贅沢をすることは金銭的にも時間的にも余裕がない。それで幸福かって言われると、ちょっと違う気がしているんです。僕は地元に帰って来て稼ぐチャンスはいろいろあるなと思っているので、どんどん稼いでいきたいし、そのお金はちゃんと地元に還元できるようにしていきたいと思っています。
僕はいつか友人を飛騨に連れてきて、一緒に働きたいと思っています。そのためには、自分の事業をどんどん成長させたいし、彼らに移住を決意してもらえるような魅力ある会社や仕事を作っていきたいなと思います。これから移住して来る人がいかにやりがいを持って取り組める仕事をつくるか、そんな町づくりをしていくかが、僕たち地元民としての責任だと思っています。
沖中:
僕も以前は地域のために何かできないかという思いが大きかったですが、地域を盛り上げるってひとりで考えていても難しい。
地域全体を考えるのは、もう僕個人で解決できる課題ではなく、強い思いを持った人が集まっていることが大切だと思っています。
今は自分で発信できる時代。無理しない楽しい暮らしを自分のできる範囲内で発信していって、同じように思う人がひとりでも来てくれたら居心地の良いまちになるんじゃないかなと思います。綺麗事じゃないですけど、全体の前にそれを構成するひとりひとりの考えが大事なんだなと思います。
大田:
僕は子どもと一緒に過ごすために帰って来ました。たとえば勤めにでてしまうと、9時から5時は家のことはできないので、帰ってきてから忙しく家事などをこなすことになると思います。今はそれを全部ひとつの場所にしたいと思っているんです。生活の中に仕事があって、その境界線もほとんどなくて、時間がちょっと空いているから洗濯しようとか、奥さんが家事をやっているから僕が迎えにいってくるよ、とか時間を有効に使える生活がしたいです。
それを突き詰めていったときに、喫茶店をやりたいと行き着いたところです。きっとなかなか外には出られなくなるんだと思いますが、それでも家族や子どもといっしょに生活する方が魅力的です。それを実家の横でやりたい。
横関:
今の「とまる」は私たちが仕事をしているところにお客さんが入ってくるので、遠慮しながら入って来る人も多いんです。それをなくして入りやすくするために喫茶スペースのある2号店を、もうすぐオープンさせる予定です。
私たちも飛騨に移住して6年経って、いろんな人と知り合うことができましたが、移住してきたときは、誰も知り合いがいなかったんです。もしいたら、色々違っただろうなと考えることがあります。
だから今度は、Iターンの人が飛騨の人と知り合うきっかけとして泊まってくれたり、いろんな人を紹介できる場所にしていきたいなと思っています。紹介した人同士が、そのあとまた飛騨で広がっていってくれたらいいなという思いで、そのきっかけをつくる仕事をしていきたいです。
座談会を終えて
今回の座談会で移住者ゲストに共通して感じたことは、人生に主体性を持っているということでした。人生は誰が決めるものでもなく、自分で選んで決めるという姿勢、誰かのマネや流行りで判断せず、自分自身にとっての幸せってなんだろうか、やりたいことは何かと考えた結果、飛騨に移住するという選択をされています。お金に対しての心配はしていなかったというのも、ただ楽観的だということではなく、お金に振り回される生き方をやめて、もっと大事なことに集中しているからなのだろうと感じました。