この人は毎日、朝2時に起きて豆富を作る。
大豆を機械ですり潰し豆乳を作り、その豆乳ににがりを入れ掻き混ぜ、型にはめ固める。
この工程を配達が始まる7時まで繰り返す。
豆富屋を始めたきっかけは「地域のために豆富屋をやるべき」と勧められたからと語る、大野誠信さん。
誠信さんは生まれも育ちも白川村。
豆富屋を始める前は建設会社の社長として、ダンプカーで土砂を運ぶ日々を過ごしていた。
当時、白川村には特産品である豆富を、村外のお客様向けに販売するお店が無かった。
「地域のために豆富屋をやるべき」と慕っている先輩に勧められ、豆富屋になることを決意。
豆富作りの知識がないゼロからのスタート。
不安や抵抗はなかったのか。
「よし、やろう。白川の特産を活かさないかん」と誠信さんに迷いはなかったと言う。
社長業も朝から夜まで働きっぱなしの毎日だったが、豆富屋を始めて14年経った69歳の現在も、相変わらず、仕込みに店番と休みなく働いている。
これからどういった人生を送りたいですかと言う問いに対して「早く楽になりたい」と笑って答える誠信さん。
やると決めたらやる性格、猪突猛進な性格はいのしし年だからとさらに笑って答える。
その顔から豆富屋はまさに生き甲斐なのだろうと感じる。
ここまで、あえて“豆腐”と書かず、“豆富”と書いてきたが、
深山豆富店は豆が富むと書いて“豆富”、なぜ一般的である豆が腐ると書いて“豆腐”ではないのか。
誠信さんは言う。「豆富を腐ると書く意味が分からない」
豆が腐るのではなく、豆に富み、幸せが富むよう“豆富”とのこと。
深山豆富の一押し商品は縄で縛っても崩れないほど堅いと言われる、石豆富。
幼少期にお祖母ちゃんが石臼で作り、囲炉裏で焼いて食べた思い出があるのがこの石豆富だそう。
石豆富はこの地域の特産品で、豆富を水に入れて保存する際に柔らかいと崩れてしまうため、普通の豆富よりにがりを強くし圧縮することで堅い豆富になったと言われている。
この地域の食文化を残し、外の人にも味わって欲しいという思いで毎日地道に作り続ける誠信さん。
この生き方にも、地域の食文化を腐らせないという言葉が重なる。
豆富は気温や天候によって出来が変わり、今でも豆富の出来に納得いくことはないと言う。
誠信さんのそういった熱い信念、両親や先祖に感謝を忘れない姿に心を打たれた。
幸せを感じるときはと問うと「豆富を肴に酒を呑むこと」と答える。
仕事で豆富を作っているのに家でも豆富!?と驚きを隠せなかったが、仕事以外の時間でも常に豆富と向き合い、豆富のことを考えている誠信さんは豆富を心底愛しているのだと悟った。
誠信さんの思いが詰まった豆富は、深山豆富店でのお買い求めの他、村営せせらぎ公園駐車場に隣接しているお店“合掌”でも食べることができる。
早く楽になりたいと語る誠信さんだが、豆富作りの他にお茶作りなど、まだまだやりたいことがいっぱいあると言う。
夢はキャンピングカーで旅をすること。
いのしし年の誠信さんが立ち止まることはないだろう。
(有)帰雲商事 深山豆富店 |
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