ここ5年に起きてる白川郷のあれこれ|試行錯誤の末に辿り着いた移住体験住宅「だいだいどころ」を作るという白川村の挑戦

※2023年6月5日
こちらの記事は2018年3月22日公開のものになります。
詳細につきましては、こちらのリンクをご確認ください。

 

今年(2017年)の6月、白川村の空き家を利用した「だいだいどころ」という名の一風変わった移住体験住宅がオープンした。

ちょうど平瀬集落の端に位置する「だいだいどころ」の外観

元の家主は大村さん。大村さんの台所で「大台所」、大きなキッチンが印象的な体験住宅だから「大台所」。「白川村移住体験住宅だいだいどころ」という名前にはそんな意味が込められている。もともと空き家だった2階建ての一軒家を1年かけてリノベーションした物件だ。外観の一部と2階の内装は、当時の面影を残しているものの、それ以外は屋根も含めて新たに整備されたそうだ。

「だいだいどころ」の顔となる広いキッチン

 

漆喰の壁とフローリングの床で明るい印象のリビング

なぜ、移住体験住宅だったのだろうか?2015年4月に白川村地域おこし協力隊として、白川村にやってきて、白川村移住コンシェルジュとして活躍している石井直紀さんにお話を伺った。移住コンシェルジュとは移住希望者の相談窓口から空き家の紹介、来村時の村内のアテンドなど移住に関わる業務をワンストップで対応する専門員のことである。

移住コンシェルジュの石井さんに伺いました

なぜ、移住体験住宅を作ったのですか?

「実はだいだいどころを作る前年度に村内の別の空き家を利用して女性専用のシェアハウスを作りました。そこは今でも定期的に外から移住者が入ってきています。そのシェアハウスを運営してみて場が出来れば、人は来てくれるという感覚がだんだんと掴めてきました。そこで単身用に続いて、村としてニーズがある家族世帯の受け入れが課題でした」

自分自身も移住者の身でありつつ、移住コンシェルジュとして多くの移住者や移住希望者と接してきた石井さん。自身も村内の空き家だった一軒家を借りて、奥さんと暮らしています。それ故に、彼らの気持ちがよくわかるそう。石井さんも移住してきて、畑で野菜を育てたり、山菜採りに出かけるなど恵まれた自然の中で暮らしています。移住希望者に村を案内するときには自分のありのままの暮らしぶりを伝えているらしく、リアルな生活に興味を持ってくれる人達との出会いは楽しいのだとか。移住希望者に寄り添う石井さんだからこそ気づいたことを教えてくれました。

– 移住を考える上で大事なことって何ですか?

「いきなり家を買うにしても、借りるにしても大きな決断なので、まとまった期間を村で過ごしてもらうことが大事なんだと思います。その機会を提供できるのが移住体験住宅という選択でした」

–「だいだいどころ」はどういうコンセプトで作ったのですか?

「実は移住体験住宅にする前は、この建物を飲食店などに使ってくれる人を探していました。単純に空き家に移住者が入ることも大事ですが、1組増えるだけでは地域の人への恩恵は限られます。しかし、飲食店などを始めてくれるような移住者に入ってもらえると地域の人もより喜びますし、周辺地域の賑わいが増えることに繋がりますから。ただし、どちらか一方に偏るのではなく、住居と事業の両方に空き家が利用されていく流れを作っていくことが重要だと思ってます」

− そのために何かしたのですか?

「空き家の価値を再確認するために「だいだいどころ」の元となる空き家を使って、小さなイベントをたくさん開催しました。家の裏にティピーを作ったり、きのこの菌打ちをしたり、改修工事に入るギリギリまで毎月のように思いつく限りのイベントを開きました。イベントをきっかけにして参加者に空き家を知ってもらい、そして面白がってもらいながら、ここでやりたいという人が見つかればと思っていました。実際のところ、考える側は大変でしたね。結局、適切な人も見つからなかったですしね」

− その結果が移住体験住宅になったのですか?

「適切な人が見当たらない場合は、世帯用の体験住宅に変更しようというのは始めから考えていました。一般的に行政としては計画変更は最も難易度が高いことだと思いますが、当初から、ある程度想定してましたので、役場担当者も白川村が置かれている状況を鑑みて、必死に理解しようとしてくれたのが大きかったと思います。キッチンを核にした移住体験住宅にしたのも、将来的に移住体験住宅以外の活用方法として、利用する村民もしくは移住者が飲食店営業の許可を取ったり、地域向けの料理教室のような利用が出来るようにという思いが込められてます。

改修工事で一番大変だったのは土間への土砂入れ。2トントラックで計5回運び入れたのだとか

 

ダイニングテーブルやスツールも空き家改修ワークショップを開催してみんなで製作した

− 実際に滞在された移住希望者はいらっしゃいましたか?

「まだ、あまり告知ができてなくて、1組のみです。夏頃に東京の若いご夫婦が2週間滞在してくれました。普段と変わらない生活ができた。いればいるほど居心地が良くなった、と言ってくれた時は、本当に嬉しかったですね」

− 白川村に住みたいという話にはならなかったのですか?

「村内の空き家を案内したのですが、現在、内覧できる空き家が1軒しかなくて、ご希望にはそえませんでした。移住体験の先にどう繋げていくかが直近の一番の課題ですね」

完成して地域住民に何か変化はありましたか?

「地域の人が気軽に集まれる場所をひとつ増やすことができました。村内でも、ちょっとした人が集まれる場としての認知も増えてきた手応えも感じています。移住希望者以外にも、村民が貸しスペースとして利用できたり、村民の親戚が滞在できるようにしています。実際には村民への1日貸しのニーズが結構あって、ちょこちょこ貸し出しています。用途を見ていると、仲の良いメンバーでの飲み会場所として使ってくれています」

小さい子供から大人までが集まってくれた「だいだいどころ」の完成お披露目会の様子

空き家は全国的にも地域課題とされている。しかし、物事の見方を変えると空き家は地域特有の資産なのかもしれない。実際に、空き家が生まれ変わることで大きな成果に繋がっている地域事例も出てきており、どのように利用するかで各自治体の命運が別れると言っても過言ではない。空き家を使った移住体験施設は全国的にも決して珍しくはないなか、白川村においても、移住体験住宅を作るという選択がどういった結果をもたらすのか。目に見える成果が出るのは数年先の話になるだろう。白川村も移住コンシェルジュが数年前にスタートし、空き家10数件が解消されたり、女性用シェアハウスに述べ10名近くが滞在した実績を持つが、現状は使える空き家がない状況に陥っている。移住コンシェルジュの石井さんの言葉を借りれば、体験住宅やシェアハウスを出た後の移住希望者の受け皿をどれぐらい整備できていくかが大きな分かれ目になるに違いない。

地道な取り組みをいかにスピーディーに継続していけるのか、白川村の取り組みはまだまだスタートラインに立ったばかり。数年後、過去を振り返り笑い飛ばせるような、そんな明るい村の未来を切に願わずにはいられない。

柴原 孝治(2017年度ライター)
柴原 孝治(2017年度ライター)

大阪生まれ、大阪育ち。東京の会社で9年勤め、その後家族で白川村へ移住。築100年の空き家をリノベーションし、カフェを開く。夢は自分で作ったワインをカフェで提供すること。白川郷ヒト大学の学長として半径5メートルを幸せにすることを日々の目標にしている。

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