「子供が楽しくて、親も楽しいのが一番。
生活と仕事のボーダーラインがぼやけているほうがいいなぁ。
時間や場所で切り分けるのではなくて、
仕事も食事も家事も全部家の中で…というのが理想です」
と語る大田渓太郎さん。
子育てをキッカケにした飛騨へのUターン。
それは、家族にも自分にも大きなプラスになりました。
大田渓太郎さんは飛騨市古川町出身。
中学生の頃にはまったのが“サブカル”と“パソコン”でした。
自分で組んだバンドのチラシやTシャツを作るなど、ものづくりに没頭していきます。
就職先に選んだのも印刷会社や、企業の看板やPOP広告、ディスプレイなどを担うサイン会社。いつも、目を楽しませるものづくりを続けてきました
この頃、お互いにいつも傍にいた幼なじみの奥様と結婚。
常に新しい刺激がある都会、名古屋での夫婦2人の生活はとても楽しいものでした。
食に関する仕事をしていた奥様とは「いつか飛騨古川で喫茶店をやりたいね」と話していましたが、まだリアルには考えていませんでした。
しかし子供が生まれてからは、その楽しさに違和感が生まれます。
「子供が生まれてから名古屋は”不自由だな”“子供と遊びにくいなぁ”と感じました。遊びたいと思う場所は交通アクセス的に行きにくかったり、移動距離があったりして…。しかも苦労してそういう遊び場に行ってもそんなに楽しくない。子供も親も楽しめない場所だったりするんです」
自分たちが育ったような自然の中で子供に自由に遊んでもらいたい、
そう思った大田さんは、飛騨古川へのUターンを決意します。
まずは、「家族との時間をつくることを優先しよう。仕事はいつかやろうと思っていた喫茶店をやればいいだろう」
そんな気持ちのUターンでした。
「ここに帰ってきて、飛騨市の子育てに対する環境づくりに、感動しました。
子供が遊べる場所が地域に何か所もあって、自宅から近い古川駅の近くにもおっきい体育館みたいな場所もある。その中にはおもちゃもいっぱいあるし、先生も3人くらいいて、子供が走り回っても平気だし、雨の日も遊べるし。
夏は隣の河合村に行って魚を取ったり、冬はスキー場に行って、無料のスペースでそり遊びをしたり。もう子供が退屈しないんです」
飛騨古川での子育ては、子供も親も楽しめる理想的なものでした。
理想の子育て環境を手に入れましたが、自身の仕事については模索する日々が続きます。
「ハローワークに行ったり貯金を崩して生活していて、しばらくの間モヤモヤとしていました」
そんなある時、友人から頼まれた結婚式の映像作りのために偶然書いたイラストで手応えを感じます。
「それが思いのほか評判がよくて、こういうことやっている人は飛騨にはいないんじゃないかと思って、このイラストを生かすことを考えたんです」
大田さんの新しい仕事が産声をあげた瞬間でした。
この仕事をどうやって育てるか、アイディアを練り、SNSの活用にたどり着きます。
その後2か月間、毎日オリジナルのイラストを描いて自分のSNSにアップすることで、いろんな人にシェアしてもらえるようにしました。
徐々にそのイラストが評判になり、デザインの仕事を依頼されるようになります。
けれども、仕事が増えてくるにつれて、悩みも出てきました。
高度な印刷や、手軽でクオリティの高いグッズ制作などは飛騨だけではまかなえなかったからです。
そんな時、以前勤めていた会社の社長と再会、大田さんが悩んでいた、印刷やグッズ制作に協力してくれる約束してくれました。
以前の会社から後ろ盾を得たことで、これまで飛騨では都会のデザイン会社に頼むしか方法がなかった「デザイン提案~製作~管理と更新」までを大田さんが一括して受注することが可能になり、地元での仕事に幅ができました。
クライアント先で作業中の大田さん | 大田さんのイラストブランド [OK PAPERS] |
飛騨へのUターンで大きく変わったことが3つあります。
1つは時間の使い方、もう1つはアウトドアや自然への興味、そして暮らしの工夫です。
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仕事の日も、オフの日も仕事の時間と家族の時間がバランスがいい大田さんの1日
時間の使い方で大きく変わったのが、朝と夜の時間。イラストの仕事は集中できる朝や夜に行い、朝ごはんや保育園へお見送り、そして晩ごはんから子供を寝かしつけるまでの、子供と過ごす時間を大切にして、生活にメリハリが生まれました。
休日は、地元の友人たちに誘われて、キャンプやバーベキューを楽しむことが多くなり、自然やアウトドアに俄然、興味が出てきました。
名古屋での暮らしに比べて収入が減ったこと、飛騨の暮らしは、1人1台のクルマの維持費や冬の暖房費など思った以上にコストがかかることなどで、暮らしを見つめ直す必要がでてきました。しかし、無駄をなくし、家族で楽しく過ごせるように夫婦でいろいろ相談してアイディアを出しあい、工夫して暮らす今の暮らしはとても心地よいそうです。
「小さい頃よく行った山奥の広場で1人考え事をすること、子供を保育園に送る道すがらの田んぼで四季を感じること、自然の中を歩く朝の散歩の清々しい気持ち…。名古屋では得られなかったたくさんの楽しみがあります。この古川は自然や土地が大きな恵みの力を持っているところだと思います」
仕事も暮らしも環境に合わせることでより人生が充実してきたようです。
長年の夢である喫茶店も来年の開業を目指しています。
“子供も親も楽しめる”ということはもちろん、
地元の人も気軽に入れる雰囲気の喫茶店です。
「“カフェ”じゃなくて“喫茶店”っていうと地元の人も来やすいと思っています。
地元には、子供を自由に遊ばせながら食事を楽しめるところがほとんど無いんです。
子供を遊ばせながら、親はゆっくり乗鞍の景色を楽しむ、
近所のおばあちゃんも畑仕事の合間に休みに来る、
そんな喫茶店をつくろうと思っています。
奥さんと2人で喫茶店をやりながら、
ボクは喫茶店の中でデザインの仕事もして、
自分の子供たちも学校の宿題を喫茶店のカウンターでしている。
そんなふうになっているんじゃないかと思います」
子育てを最優先にした飛騨へのUターン。
飛騨の地は、子育ての環境が充実していて、
子供がいつも楽しそうにしていてくれる…。
そういった安心感や心の充実が、仕事にもいい影響を及ぼし、
ご自身のキャリアも広がりました。
最後に大田さんは、こんな事も話してくれました。
「子供との楽しい時間をたくさん過ごせる飛騨ですが、それだけではありませんでした。私自身、今までの仕事で経験したことを活かせる場面が沢山あると実感しました」
ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず
鴨長明「方丈記」の冒頭の一節です。
大田さんは、流れる河のように、とどまることなく
暮らしや仕事を見つめ直して変化させて、自分の思い描く暮らしを手に入れました。
飛騨は、子育て環境、自然、時間の流れ方など、
多くの人が理想としている人生観に一番しっくりくる土地、なのかもしれません。
家族のこと、仕事のこと、そして自分自身の人生のことを考えたとき、
“変化する勇気”さえあれば、飛騨へのUターンや移住は、理想の暮らしを手に入れる、一つの選択肢を示してくれるのではないでしょうか。