co-ba HIDA TAKAYAMA

住 尚三さん & 浅野 翼さん

高山のコワーキングスペースco-ba HIDA TAKAYAMAを運営する同級生のおふたり。それぞれ、都市部で仕事をしながらも、いつか地元の高山に帰るという思いがあったそうです。本業を持ちつつも、コワーキングスペースで新しい可能性を探しているふたりに、高山にUターンするまでのことと、これから考えているについて聞いてみました。

―まず、最初にふたりが高山にUターンしたきっかけを教えてもらえますか。

自分は、なんとなくいつか帰るという気持ちはあったものの、一番は震災がきっかけ。震災時、電車も止まって家に帰れなくなってしまって、歩いて帰ってるときに、「俺、なんでこんな遠いところまで会社に通ってるんやろ」と実感しました。ちょうど、子どもも小さくてこれから育てていく時期でもあったし、長男だから家業の印刷屋もどうにかしないといけない、という思いも重なっていた時期で。

自分が生活するだけなら都会でもよかったんですが、子どもが大きくなるにつれて、地元で育てた方がいい子に育つだろうということも感じていて、そのあたりがきっかけだと思います。

―ご実家が印刷業を営まれているということですが、家業を継ぐために戻ってきなさい、と言われたりもしましたか。

うーん、そう明確に言われていたわけではないけれど、実家に帰るたびに家族からの期待は薄々感じてましたね。もともと、それとなく家業を継ぐように育てられていたのですが、少し反抗していた部分もあって、それで都会に出てきたっていうのもありました。

浅野

自分の場合は、両親が民宿をやっているのですが、継ぐという話は全くなかったですね。

もともと、高山ではなく外の設計事務所で修行してきて、30歳ぐらいで地元に帰って独立しようと考えてました。名古屋の設計事務所に勤めていたのですが、向こうで働いている間に飛騨で誰かが新しいことを始めていたり、面白い人が集まってきている雰囲気を感じ始めたことがUターンするきっかけとして大きかったと思います。

ただ、家からは民宿を継いでほしいという話はなかったのですが、「浅野家を守ってほしい」ということはじーちゃんばーちゃんからずっと言われてましたね。

たしかに、その家を守るっていうのは高山では強いかも。うちも家業はもちろんだけど、住家を継いでいってほしいとは何度も言われたことがあります。

―血を絶やさないというのはよく聞きますね。ちなみに、ふたりは地元に帰ろうと決めてから、実際に戻ってくるまでの期間はどのくらいかかりましたか?

だいたい決めてから1年くらい。もともとは大学卒業後に環境関連会社に勤めていたのですが、合計7年働いて地元に帰る準備も進めていった感じです。

―実家のご家族や奥さんは喜ばれました?

子育ての面では喜んでくれていて、ただ、うちの嫁さんは新潟出身、東京で働いていたので、まったく新しい場所ということで不安もあったと思います。嫁さんの実家も自営業だったので、自営業は大変!というイメージがあって、「私はサラリーマンと結婚したのに、いつのまにか自営業の妻になってた!」と言われたこともありました(笑)

浅野

自分の場合は2年半くらいですね。辞めますと宣言してから少し時間がかかってしまったかもしれません。帰る前に1年ほど旅をしていた時間もあったけど、高山に戻るという思いはずっとありました。Uターンに対するモチベーションが下がるということもなくて、選択肢としては地元に戻るということしか頭にありませんでした。

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―ふたりとも、無事に帰ってきていただいて何よりです。次に、飛騨に住んでいて何かグッとくることがあれば教えてもらえますか。

山に雪が積もったとき。地元なのに、冬で天気が良いときなんかは、何度も見ている景色のはずなのにずっと眺めていたくなります。

それから、グッとくるということだと挨拶する人が本当に増えたな、という実感もありますね。東京にいたときは挨拶する人なんていなかったのに!

浅野

見知らぬ小中学生が挨拶してくれるの、あれは本当にすごいことだなと感じます。中学生でも「こんにちはー」って誰にでも挨拶できるのは、やっぱり名古屋ではなかったことなので。

あとは、自分の場合は純粋に川が好き。都会の川は抵抗があるのだけど、高山に流れているくらいのサイズだと親しみやすいのかも。特に、この滝のような音をずっと聞きながら育ってきたから、懐かしく感じますね。

※co-baの目の前には宮川という大きな川が流れています。

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浅野

他にも、イベントがあるときなんかは、ごはんが持ち寄り形式だったり、何かしらほっとする文化があってすごくいいことだな、と。

―あんまり大きすぎない、という感じですか?

浅野

そうそう。自分たちでつくろうといった感じで、誰が入ってきてもいいよという雰囲気でパーティーをしたりとか。イベントでは自分たちでできることを持ちよって開催することが多いなと思います。

身の丈にあった感じ、手の届く範囲、というのがキーワードなのかも。

―逆に、グッと耐えてるとか、割り切っているところは?

少し過干渉だなと感じてしまうことはありますね。よかれと思ってのことだと思うのだけど、たまには、少しほっておいてほしいこともあります。地域の距離が近いがゆえに発生するところなのかもしれないですが。

浅野

自分としては美術館やイベントなど、エンターテイメントが少ないのがちょっと。あと、仕事に対しては、これまでの常識が通用しないこともあったり。

東京にいたときは当たり前だった、一般的なビジネスルールが通用しないことも多いです。メールの宛名や名刺の渡し方や、色々とありえないと思ってしまうことも。競争にさらされていない分、それが地域として許されてしまっている風潮があるのかもしれません。

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―便利だった都会の生活も魅力はあったと思いますが、その頃と今を比べて変わったことはありますか?

通勤時間は明らかに変わりましたね。東京にいたときは1時間半くらいで、子どもが寝ている間に出て、子どもが寝てから帰るという生活だったけれど、今は通勤時間が5分。居住地と仕事場が近いというのは大きく変わったことだと思います。

浅野

一番大きなのは、雇われていた立場から自分で始める立場に変わったというところ。都会にいたときは歯車のひとつといった感じだったと思うけれど、今は自分が決めたことは自分の意志でできる。全て自分次第といったことは、生活の中で大きく変わったことだと思います。

それと、どこどこのだれだれさん、というのは認知されているのは都会と違いますね。このへんの方には高山印刷の住さん、と認識されていることは本当に多くて、何かちょっとしたことをするだけで有名人になってしまうというか。噂も広まるのが早いですね。

―では、最後におふたりの今後の野望についてお聞かせください。

浅野

本業の方で行くと、社会に影響を与えられるようなプロジェクトに関わっていきたい。建物だけではなくてまちづくりであったり、町に影響を及ぼしていくようなことをもっとやっていきたい、町が変わっていったという事例がつくれればと思ってます。
co-baでいうと、もっと人が来るようになっていけば、というのはあります。ここを拠点として、このへんの界隈がもっと変わってくればという思いはあって、ここから発信していきたい。

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co-baからまちへ、まちからco-baへという循環が起こってくると嬉しいですね。子供たちにも、面白い大人の姿を見せたい、というのもあります。周りにいる大人の影響力は少なくないと思っていて、ここに面白い人が集うことで、子どもたちにも将来帰ってくる理由になるんじゃないかなと感じてます。

浅野

Uターンしてくれるきっかけになるかも。小さいころ、飛騨の生活を楽しそうにしている大人がいたなぁーと思い出してもらえれば。

そういった思い出を持った子供が成長して帰ってきたときに、「僕こんな風に成長したんですよ!」と酒を飲みかわしたりできたら嬉しいですね。

―co-baはこういう人に使ってほしい、など未来のイメージはありますか?

商店街にも若い人が少しずつ帰ってきているから、次世代の商店経営者の人に使ってもらって、少しずつ町に開いていければと思ってます。

浅野

何かに迷っている人がco-baにきて、たまたま誰かと知り合って、そこから可能性を感じてくれたら嬉しいですね。今はそんなに楽しくない、と感じている人が、もっと楽しい世界があるということに気づいてくれる場であったらいいと思ってます。

楽しい人たちはほっといても動いてくれるけど、そうじゃなくて自分だけでは決められない人に可能性を感じてほしい。そういう人たちが変わって行けば、町に対しての影響力はとても大きいと思います。

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この場所のリノベーションも含め、co-baを始めたことで、自分たちでできることがだいぶ変わったことを実感しているので、自分のできることはたくさんあるのだということを知ってほしいですね。

おふたりのインタビュー、いかがでしたでしょうか。

それぞれ違うきっかけで高山に戻ってきて、co-baの運営をはじめたふたり。育った場所だからこそ、地域の良さを話すときの表情が印象的でした。

まだまだ多くの可能性を秘めているco-ba HIDA TAKAYAMA。ここをきっかけにして、これからも多くの人たちの交流が生まれる場所になっていくでしょう。

高山に訪れる際は、是非足を運んでみてはいかがでしょうか?

co-ba HIDA TAKAYAMA

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