やわい屋

朝倉 圭一さん & 朝倉 佳子さん

移住後に、カフェや雑貨屋を開き、自分のペースで暮らす・・・という姿に憧れを持っている人は多くいるだろう。自分もそんな先入観を持って、高山市の郊外で民藝のお店を開いている朝倉さんにインタビューをしてみた。しかし、インタビュー終了する頃には、意外な結果に。朝倉さんがなぜこの場所で商いを始めたのか。気になっていた質問を投げかけると、その答えは想像していたものと違っていた。

 

―高山市の中心地から20分ほど離れたところですが、想像したより山間の集落ですね。ここでお店を開くとは、ちょっと驚いています。

朝倉

僕達がここ(国府町宇津江)を選んだ理由は、ひとことで言ってしまうと「ご縁」ですね。この集落に知り合いがいたことや、この店の近くにお蕎麦屋があるんですが、そこの大将が、「うちの隣で店を開かないか」と声をかけてくれたこともありました。そんな色々なご縁もあり、高山市荘川町の山奥から築150年の古民家を移築し、店舗兼住宅として暮らし始めて約2年になります。

 

―本当に立派な古民家ですよね。なぜ器などを扱うお店を開こうと思ったんですか?

朝倉

もともと民藝の考え方に興味があり、書籍を読んだりして勉強していました。器などの民芸品には、その土地や人の暮らしぶりが表れています。その暮らしぶりや営みは、先人から脈々と受け継がれてきた土壌のうえに成り立っています。そういう受け継がれてきたものを僕達が繋いでいるつもりです。

 

―なるほど。そういう想いをつないでいるお店って、飛騨では唯一ですね。

朝倉

結果的にそうなっているかもしれませんが、こういう良いものを残すのことを、みな必要だと感じ始めていますよね。きっとこれからたくさんの方がこういった想いを繋ぐためのお店やスペースを作っていくと思いますよ。

―何だか朝倉さんのお人柄に興味が出てきました。そのような「暮らしぶり」に関しては、以前から興味あったんですか?

朝倉

僕が学生の頃、学校とか規則みたいなものに縛られる空間がずっと嫌いで、なおかつ非常に排他的・否定的な思いが強い子でした。で、心理学とか哲学とかが好きで、よく本も読んでいました。飛騨を出たり、いろいろな人に出会ったりするうちに、自分の中で気持ちの整理が付き始めて、もうすこしではっきり結論が見えそうな感じなのですが、今では、否定しない・押し付けない・ふわっとあいまいな立ち位置がちょうど良いと感じるようになりました。

例えばいろいろと良いものを取り入れようとしている風潮はわかるけど、その言葉や理念にとらわれすぎて、これはダメとか、これは受け入れられないとか、排除をしていってしまうと、結局、自分で許容範囲を狭めてしまうんですよね。

 

でも本当は、それを人生の目的とした人たちの想いというのは、そういう苦しくなるようなものではなくて、もっと純粋に自分が救われたことへの感謝や、良いものを広めたいといった明るくて気持ちにいい考えだったと思うんです。だから、「あ、そういう考え方もあるんだ」とそれぞれの場所で共存共栄を願うのが今の僕の考えです。

そういう自分の中での意識の変化、インプットの目線は子供の頃とあまり変わってないんですが、捉え方や社会に対する接し方といったアウトプットの仕方が、地域それぞれの多様性を認める民藝思想の背景に惹かれていって、変化してきた感じですね。

―自分の考え方の変遷があり、先人から受け継ぐ「暮らしぶり」を自ら体現するために、「やわい屋」を開いたんですね。

朝倉

他県に行ったときに「高山出身です」と言うと、ほとんどの人に「飛騨っていいところだよね~」と言われました。一度高山を出て、外から見たときに飛騨の良さ・飛騨の暮らしを俯瞰して見ることができましたね。

―なぜ飛騨での開業を選んだのですか?

朝倉

東日本大震災が起こった時、「突然、人は人生を終えてしまうことがあるんだ」と感じました。「なんでもやることができる環境にあることを、それを活かさないのは亡くなっていった人たちに対してもあまりに失礼」、何となく暮らすのではなく、人生において自分のわがままを通してみたい、その為にはうそはつきたくないから毎日の暮らしぶりから変えたいと思い始めた頃、ちょうど移住ブームが日本に起きていたんです。

 

そして飛騨にも移住者が増えてきて、変わったことをしていたり、面白いことをしようとする若い移住者やUターン達と出会うようになりました。みんな希望に燃えていてこれからの時代を強く感じました。

たくさんの出会いや刺激があって、民藝の勉強を進めていた僕は「このことに三年打ち込めたら一生やろう」考え、それを達成したので民藝の思想を通して集めてものを扱う店を開くことになったんです。

どれも時代の流れですよ。時代の流れに沿って僕も今こんな風になったんです。

 

―時代とともにブームがあったり、出会った人が居たり、朝倉さんのライフスタイルも変遷していったんですね。

―移住してからは、どういった人とのかかわりがありますか?

朝倉

僕は大体一日中家にいるので、町内のつきあいにはしっかり出た方がいいと思って、町内会には入れてもらいました、あと獅子舞にも笛で参加しています。それから最近、消防団に入りました。大変なときもありますが、それ以上のものをもらっています。地域に住まわせてもらってますので、僕はよそから来たのに集落の仲間に入れてありがたいなぁという感謝の感覚があります。

結婚先の親族に認めてもらえたような感覚ですかね(笑)

 

散歩をしていて、近所の人に廃車にする軽トラをもらったりもしました(笑)。恩返しのつもりで地域のことには出来るだけ参加しています。ここへ来たばかりの頃は、暇人だったのでよく散歩に出かけて、道で会った人にあいさつしたり、話をしたりして馴染んでいくように毎日無理せず楽しみながら過ごしていましたね。

 

―郊外の小さな集落は、いろいろ決まり事やしきたりがあったり、人付き合いも濃厚なイメージがあります。飛騨に住んで困ったこと、びっくりしたことは?町内の風習とか・慣習とか、これはちょっと・・・、ということはありますか?

朝倉

風習とか慣習とか、疑問が出たら、近所の人に聞く。そういうのを相談できる人が近所に一人いると良いですよ。僕も困ったりしたら近所の方によく相談しています。

僕はここが好きで、ここの歴史も好きで気に入って移住してきました。先人たちの歴史を考えると、そういう風習とかって必ず意味がある。おかしいなと思ったら理由を聞いてみる。でも先人たちの想いもあるし、変えようとは思わないし、変えられないですよね。

自分たちが付き合い方を考えればいいんです、本当に無理なら逃げずに説明すればきちんとわかってもらえるものです。自分なりでかまわないので真摯に接することですね。

―移住して古民家暮らしがしたい、という方もいると思いますが。

朝倉

そうですね、ここにお店を開いてから、古民家に住みたいという相談に来る方と出会う機会は増えました。うちは古民家専門の不動産屋さんと二人三脚で探しましたが、古民家探しや古民家暮らしに正解不正解はないように思います。ただやはり一般の流通には乗らないので、なかなかきっかけが掴みにくいですよね。うちは今の家が決まるまでに二軒、契約まで漕ぎ着けたんですが、最後の最後で破談したことがあります。

長い年月住み継がれてきて、歴史も想いもあるものですからね…お金を用意したらそれで終わり、とはならないですよね。

古民家はお金で買うものではなくて、自分たちで造っていくものだと思います。周囲との関係性もそういった姿勢で伝わるものだと思います。

だから一回断られたくらいであきらめちゃだめです。惚れた人との結婚を認めてもらうために挨拶に行くくらいの信念で粘り強く足を運んで話をしたり、周囲にも古民家に住みたい!と公言したほうがいいですね。案外周りから迫られると考えも変わりますし、処分に困っている家を持っている人も今の世の中たくさんいたりしますしね。

―今後、移住する人へのひとこと

朝倉

移住って、こうしたらいいという正解はないと思います。恋愛と同じで移住にもハウツー本はないです。あたって砕けて、また立ち上がって諦めないのが肝心ですね。

移住先の家探しや仕事など、不安なことは周りから助言をもらったり、いろいろ模索しつつも、自分も努力する必要があると思います。住んでみないとわからないこともあると思うけど、出来る限り真摯に地域や地域の皆さんと向き合っていれば、悪い方向には向かわないと思いますよ。

僕のような実際に暮らしている方もたくさんいますので、そういう縁は遠慮なく頼って使って自分の想いには妥協せず希望を叶えていただきたいです。

うちはお店でオープンな場所なので、気にせずどんどん話に来てもらいたいですね。地域の繋がり情報や体験談などは現地でしかなかなか集まらないですからね!

―奥様は愛知県ご出身とお聞きしましたが、飛騨で暮らしてみて、どうですか?

佳子

飛騨でなくても、こういう暮らしぶりをするにはどこに住んでいてもあまり変わらないですね。住めば都です(笑)

―やわい屋を始めるにあたり、奥様とはよく相談して進めたんですか?

朝倉

実は、やわい屋を始めるにあたり、めっちゃくちゃケンカしましたよ。いつも僕はボロクソに言われています。奥さんの方が直感に優れているし、そういう言葉が僕には必要なので、いまのバランスでちょうどいいんです(笑)

佳子

「さっきのインタビューでも、押し付けないのがスタンツとか言ってたけど、しょっちゅうクヨクヨ悩んでますよ。そしてその悩み方が根深いんです」

―あれ、さっきまでおっしゃってたことと違いますね。

朝倉

ははは。今でもよく排他的・否定的な考えに陥ることがありますよ。僕の根本はそのままかもしれません。でもいまは妻も仲間もいますし、昔みたいにふさぎこむことはないですね。

―人間、そう簡単に思考は変えられないもんですよね。てっきりその道を究めた方かと思ってましたが、朝倉さんの原動力(原点)はそこでしょうかね。人間らしい部分がわかって、何だか安心しました。

朝倉

こういう暮らしをしているけど、コンビニ行くし、お腹すいたらファーストフードも食べます(笑)だってその人のこれからの暮らしだって理想通りになんていかないし、そんなことでいちいち自分を追い込んでたらなんにも出来ないですよ。我慢したって疲れるだけです、今日出来ないこともいつか出来るようになりたいと願い続ければいいんです。そういう色々思い通りにいかないからこそ生きてる実感を得られるじゃないですか(笑)僕らの暮らし方に理想を描いて相談やお話を聞きに来る方がいても、その理想像は砕きますよ、僕は。

―朝倉さんの包み隠さずなんでも話してくれる人柄、奥様の包容力、そして垣間見える人間臭さ。この方達に「また会って話したい」と思わせる空気がある。だからこそ、人々がこの場所にわざわざ足を運ぶのだと実感した。

「移住後に自分のお店を開きたい」という方のために参考になれば、と思ってのインタビューだったつもりが、朝倉さん本人の本質的なものに迫るお話がメインとなった。しかし、この朝倉さんの過去の経験やあれこれ考える人間臭さが、Uターン後に民藝のお店を開くまでに至るという原動力になっている。

オーガニックな生活を徹底していたり、人格的に超越していたり、自分のコンセプトをしっかり確立した人が、移住して悠々自適にカフェや雑貨屋を開いていると思っていた。しかし、朝倉さんのように、Uターンして民藝のお店を開いてもなお、やはり何かしら模索していることがあるものだ。

つまり、移住して自分のお店を開くとかって、そんなにハードルは高くないのだと思う。要は自分の意思次第なのだ。そして開いた後もなお、あれこれ悩みながら試行錯誤していくものなのだと感じた。そういうことに改めて気づいたインタビューでした。

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